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薬と歴史シリーズ 1

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~ 今回ご紹介するのは、古い時代の処方せんです ~

※処方せんは現代のように個人情報保護法の無かった時代でも普通保存期間が終わると廃棄されるため、手に入れるのが難しいものです。

1. 明治39年(1906年)の道修町のたぶん開業医の処方せん

明治39年(1906年)の道修町のたぶん開業医の処方せん

■処方せんからの指示
硫酸マグネシア8.0g、希塩酸1.0g、ストロファンスチンキ1.0ml、苦味チンキ1.0mlに蒸留水を加え、総量 100mlとし、1日分とする。これを1日3回毎食後(1回33.33・・ml)、5日分、毎日必ず飲むように。

実際作る時は、 硫酸マグネシア40.0g、希塩酸5.0g、ストロファンスチンキ5.0ml、苦味チンキ5.0mlに蒸留水500ml となります。

■効能・効果
硫酸マグネシア(硫酸マグネシウム)
おそらく下剤として使用されていると思われます。
希塩酸
胃酸は体内で食塩から作られています。消化を助ける目的で使用されていると思われます。ちなみに現在、日本薬局方に収載されている食欲増進剤の「塩酸リモナーデ」は主成分が希塩酸です。
ストロファンスチンキ
キョウチクトウ科のストロファンツスという生薬があり、おそらくこれの事だと思われます。このストロファンツスに含まれる主な薬効成分は強心配糖体で、強心利尿薬として用いられていたそうです。別 名ウワバイン(ouabain)とも言いますが、これは古く東アフリカのソマリ族が矢毒として用いていたキョウチクトウ科Acokanthera ouabaioの樹皮や木部からも得られているからであります。注射による作用発現はきわめて速効性だが、消化管からはほとんど吸収されないと・・・。
苦味チンキ
リンドウ科のセンブリという植物より抽出された成分で、苦味健胃薬として使われていると思われます。ちなみにセンブリの名前の由来は、お湯に千回も振り出しても苦味が出ることからつけられたと言われています。

ちなみに明治39年はオーストラリアの医師ピルケが「過敏症」に代わって「アレルギー」という用語を提唱し初めて用いた年で、もともとは変わった動きという意味。

道修町(どしょうまち)とは?
道修町は、大阪、地下鉄御堂筋線の「淀屋橋駅」、堺筋線ならば「北浜駅」を降りて、南に少し下ったところにあり、江戸時代から「くすりの町」として知られてきました。
江戸時代には「薬種(草根木皮など、和漢薬の原料になるもの)中買仲間」が集まり、長崎を介して輸入される唐薬や、和薬の国内流通 の中心をになっていましたが、明治時代になると仲買商は製薬業にも進出していき、 現在では、くすりを扱う企業や、くすりにゆかりのあるお店がびっしりと軒を並べております。
また、道修町には、江戸時代からくすりの神をまつる少彦名(すくなひこな)神社があります。少彦名命(すくなひこなのみこと)を御存じでしょうか?ワニ(サメ)をだまして皮をはがされて泣いていた因幡の白ウサギをなおしてあげたあの神様で、日本の薬祖神として有名です。



2. 大正5年(1916年)の巣鴨病院の処方せん

大正5年(1916年)の巣鴨病院の処方せん

■処方せんからの指示
ヨードカリ0.7g、臭化カリ3.0g、苦味チンキ2.0ml、単シロップ5.0mlに飲水を加え、総量 100mlとし、1日分とする。これを1日3回毎食後(1回33.33・・ml)服用。日数は書いていない。

■効能・効果
ヨードカリ(ヨウ化カリウム:KI)
ヨウ素欠乏症、甲状腺機能亢進症、慢性気管支炎、喘息、第三期梅毒などに使用される。この量だと気管支炎、喘息か梅毒だが、巣鴨病院ということから、梅毒で、脳神経に障害が出てきていると推察される。
臭化カリ(臭化カリウム)
その昔、抗てんかん薬として使用されておりました。現在は試薬として販売されており、犬のてんかんなどに使用されているそうです。上記理由にて脳神経障害のてんかんのために処方されていたのでは?
苦味チンキ
苦味健胃薬。
単シロップ
矯味目的。

大正5年は大日本医師会が発足した年です。
の処方せんの裏面には、調剤した薬剤師の署名と捺印があります。

東京府巣鴨病院とは、現東京都立松沢病院の前身で、開設から現在に至るまで、日本の精神病治療の最先端をおこなっている病院です。さかのぼる事、明治12年、上野公園内に東京府癲狂院(てんきょういん:癲狂とは精神錯乱の疾病)という名称で開設。2年後に本郷向ヶ丘(現文京区)に移転し、さらに5年後に小石川駕籠町(現文京区)に移転。その3年後、明治22年、東京府巣鴨病院と改称。そして大正8年、現在地世田谷区へ移転し、東京府立松沢病院と改称。昭和18年、都制施行により、現在の東京都立松沢病院となりました。



3. 大正12年(1923年)の東大付属病院の処方せん

大正12年(1923年)の東大付属病院の処方せん

■処方せんからの指示
(一)臭化カリ2.0g、撒曹2.0g、抱水クロラール0.3g、苦味チンキ1.0ml、単シロップ5.0mlに浄水を加え、総量 100mlとし、1日分とする。これを1日3回毎食後(1回33.33・・ml)服用。日数は書いていない。

(二)炭酸グアヤコール0.6g、健末0.3g、乳糖1.0gを合わせ1日分とする。これを1日3回毎食後(1回0.633・・g)服用。日数は書いていない。

■効能・効果
臭化カリ(臭化カリウム)
その昔、抗てんかん薬として使用されておりました。
撒曹(サリチール酸ナトリウム)
重曹(炭酸水素ナトリウム)と同様?、制酸剤として。
抱水クロラール
現在は睡眠剤として服用されますが、この場合1日3回ということなので、鎮静、催眠より、痙攣重責状態などで使用されていたと思われます。
苦味チンキ
苦味健胃薬
単舎(単シロップ)
矯味
単炭酸グアヤコール(グアヤコール)
麻酔・鎮痛作用と優れた抗菌力があるということから、昔は腹痛、下痢止めとして使用されていましたが、現在では、効果より危険性が上回るということか、歯科領域でしか保険適応されておりません。歯科では齲カ・根管に浸潤させ、消毒と神経麻痺に使われ、「もし口腔粘膜に付着した場合は、ただちにふき取り、エタノール、グリセリン、植物油又は多量 の水で洗う処置を行う」と注意書きがついており、危険さを物語っているようです。
健末
たぶん健胃散
乳糖
賦形剤としてでは?

大正12年は千葉、金沢、長崎に医大が創設された年です。

東京大学医学部は安政5年(1858年)5月、「神田御玉ヶ池種痘所」を設立したところからはじまります。文久元年 (1861年) に「西洋医学所」と改称、その後、移転、合併、改称をくり返し、昭和24年(1949年)5月、「東京大学医学部附属病院」と改称、現在に至ります。東大医学部と種痘については、後日別コーナーにてあらためてご紹介させていただきます。



これらの処方せんにもあるように、昔の調剤は粉の混和が多く、また丁幾(チンキ)剤を用いた液剤も多かったようです。いずれにせよ現代のコンピュータ印字の処方せんよりも威厳を感じる次第です。


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