おき薬紹介シリーズ 4
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腹痛に苦しむおじさんたち
平成15年1月号の市薬会報では配置売薬ご紹介シリーズの(その2)として風邪薬を紹介しました。 文中風邪薬には美人が微笑んでいるパッケージが多いけど“腹痛(はらいた)の薬”にはオジサンが腹を抱えて苦しむデザインが多いと書きました。
・ところが“腹痛(はらいた)の薬”にはオジサンが苦しむどころか解剖されて内臓が丸出しにな ったデザインも多く、今回はそのようなオジサンが苦しんだり解剖されてしまったデザインをまとめて御紹介いたしたいと思います。
《腹痛に苦しむオジサンたち》
まずはじめに解剖デザインの原型ともいえるような、江戸期の薬『天元養氣圓』・『小児健脾圓』 のチラシを御覧下さい。 これらの薬は明治期以降も販売されてましたが、このチラシは江戸期のもので五臓之約圖が描かれています。 五臓とはもちろん東洋医学にいうところの五臓六腑のうちの肝・心・脾・肺・腎の五臓のことで、この約圖には五臓などの解剖図の他、素問、霊枢などに説かれる生理学が紹介されています。 “命は天の賦なり。氣は生の元なり。脾胃は固より倉廩の官にして、天元沖和の徳化を保護す。(略)” 考え方としては当時の医学の学説によって、この薬の権威づけをねらったものです。 ほとんどの庶民にとってはチンプンカンプンだったと思われますが、“よく判らないところがありがたい”というのも本当のところだったと思われます。
(縦 15.7 cm × 横 46.8 cm)
つぎに現代でも売られている明治12年(1879年)に官許を得て発売された伝統薬『太田胃散』を紹介します。
・『太田胃散』を創製した太田信義は天保8年(1837年)の生れで元は鳥居藩(栃木県の一部)の家臣でした。維新後は高等官吏として三重県四日市の港湾整備にたずさわっておりましたが、明治11年に官職を辞して東京で出版業を始めました。しかしながら転職はうまくゆかずストレスにより胃病を患い名医緒方洪庵の娘婿の緒方出斎医師の診察を受け治り、その時与えられた薬の処方を後に譲り受けて売り始めた胃薬がこの『太田胃散』です。
・この処方の原形はオランダより来日した軍医ボードインが伝えたものといわれており、その原料はほとんどが当時の英国植民地のアフリカ、セイロン、中国などから取り寄せたチョウジ、ニクズク、ウイキョウ、ゲンチアナ、ニガキ・・・・などの芳香苦味健胃薬で、つまりスパイスと共通 しており結局『太田胃散』は肉食が多い西洋人の胃薬として適しており、つまりは長嶋一茂ばかりでなく肉食が多くストレスも多い現代人の胃にも良く効くのではと思われます。
・この『太田胃散』の明治時代の包装と能書を御覧下さい。御覧のように次に紹介する『胃散』と比べてもはるかにグロテスクな消化器の解剖図が当時の『太田胃散』の登録商標でした。
現代の太田胃散 |
解剖デザインが作られた背景には、明治維新の文明開化により西洋の文明、西洋医学が我国にもたらされた結果、現代でもそうですが科学の権威を借りて効能や効き目をより大きく見せる効果 をねらったものと思われます。 (ただし現代ではこのような脅迫的な内臓が丸出しの腹痛に苦しむデザインはまず許可されることは難しく、また許可されても逆効果 のような気もします。 言い方を変えれば現今のデザインはおとなしく、昔のデザインは過激で、だから面白かったと思います。)
つぎに紹介するのは同じく明治期に売られていた『胃散』の能書きです。 大久保利通のような立派な紳士が椅子に腰掛けています。 その周りに天使(エンジェル)が飛んでおり、天使には“胃(イブクロ)丈八九寸幅ハ三寸六分”“膓(ハラワタ)長サ三丈餘ナリ”とチグハグに東洋的な寸法が書きこまれ、また当時最新の生理、病理に基づく効能が書かれています。 これも最新の医 学や、解剖図によって『胃散』の権威づけをねらったものといえそうです。
(縦26.5 cm × 横 35.4cm)
最後に、これまで見てきた解剖図デザインの流れをひきついだオジサンが苦しむ内臓丸出しの“腹痛(はらいた)の薬”を御紹介して本項を終わらせていただきます。 (『びっくり丸』には注射代用と書かれていますが、それなのにオジサンのお腹には、大きな注射器が刺さっています。下痢でお腹が痛むというより巨大な注射器が刺さって痛いという気の毒な絵です。)
《解剖されてしまったオジサンたち》
(本項参考文献 山崎光夫 著 「日本の名薬」 東洋経済新報社)
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