薬業界 老舗歴史シリーズ 5
~ 丹平製薬 ~都薬雑誌の去る2013年9月号と10月号にはくすり博物館(今は昔売薬歴史シリーズ)の第9回、10回として『今治水』と『健脳丸』を、また市薬おくすり博物館売薬歴史シリーズではさらに『アスター軟膏』を御紹介しました。
今回の老舗歴史シリーズ5ではこれらの『今治水』などを製造販売していた丹平製薬を取り上げ、これら以外の薬でかつて同社で作っていた家庭薬を御紹介して同社の歴史を振り返ってみたいと思います。
現在では〖新今治水〗〖コンジスイQ〗〖健のう丸〗などと名称を変更していますが、これらを伝統家庭薬を製造販売している丹平製薬株式会社の前身の丹平商会の大本は、宝暦5年(1755年)に初代の丹波屋平兵衛が主家から独立し大阪の心斎橋で開業した足袋装束業に始まります。
丹平の屋号は丹波屋平兵衛の頭文字に由来するわけですが、明治維新後に家業を継いだ五代目の森平兵衛は有栖川宮の御用達となって菊の紋の小鈎ある御殿足袋を商うかたわら森玉林堂の名前の売薬本舗も営んでいました。
その養子の六代目の森平兵衛翁(幼名小二郎)は明治23年に大阪薬学会の付属薬学校を卒業、その年には内務省の薬舗開業試験に合格し薬舗主の資格を得て、家業の足袋の老舗を継ぎながら将来の薬業界の発展を視野に明治27年(1894年)[丹平商会]を設立して大阪の心斎橋で営業を開始しました。
当時森平兵衛翁は“今すぐ治る歯の薬”としてすでに有力な売薬の一つになっていた長川小山堂製造の『今治水』に着目、特約総販売元〔いわゆる元弘(もとひろめ)〕としてその販路の拡大や共同広告に尽力、明治28年(1895年)には『今治水』の一手専売の契約を取り交わし、明治38年(1905年)には製剤者の依頼により『今治水』の譲渡を受け入れ“歯痛良薬『今治水』”を[丹平商会]の丹平商品として発売しました。
丹平製薬株式会社のHPによりますと明治31年(1898年)には『今治水』の販売を開始したとのことですので『今治水』は115年以上もの歴史を持つ伝統家庭薬ということになります。
一方『健脳丸』が発売されたのは丹平製薬が設立された2年後の明治29年(1896年)のことですから『健脳丸』も120年近い歴史を持つロングセラー商品なわけです。
なお『アスター軟膏』がいつ頃から製造発売されたのかは同社のHPを見ても定かでありませんが、昭和に入ってからのことと思われます。
(1)資料①《『今治水』 & 効能書》
(2)資料①《『健脳丸』C外箱 & 『健脳丸』B瓶》
(3)資料 《『アスター軟膏』 & 効能書》
ではこれら以外の薬の同社製造の家庭薬や文献をコレクションのなかから御覧下さい。
〈家庭薬資料〉
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(2)資料①《『健脳丸』C外箱 & 『健脳丸』B瓶》
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(3)資料 《『アスター軟膏』 & 効能書》
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ではこれら以外の薬の同社製造の家庭薬や文献をコレクションのなかから御覧下さい。
〈家庭薬資料〉
(4) 『毎月丸』 |
(5) 『アンチピリン丸』 |
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(6) 『呼吸器散』 『呼吸器散』 『呼吸器散』 |
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(7) 『オイン』 『ネオオイン』 |
(8) 『心臓丸』 |
(9) 『外用 ピオギロン液』 |
(10) 『今治水』『健脳丸』『アンチピリン丸』『ナイス』の 広告チラシ |
(11) 『健脳丸』『アンチピリン丸』『呼吸器丸』『呼吸器散』の 広告チラシ |
(12) 發汗解熱良藥かぜねつ トンプク四十度 擴張大割增附特賣 |
(13) 丹平詰合箱 歳末大特賣/b> |
(14) 『健脳丸』『今治水』他 売薬請売約定書/売薬請売御免許願 |
(15) 『健脳丸』『今治水』他 原価(卸売割合)改正に就いて |
(16) 『健脳丸』メモ帳 表・裏表紙/森平兵衛翁写真 『健脳丸』広告 |
(17) 『健脳丸』と『今治水』と『オイン』くすり袋 |
(18)『健脳丸』と『新今治水』の販促紙製ジェット機おもちゃ |
〔参考文献〕
・インターネット 丹平製薬株式会社HP
・伝統薬の事典(東京堂出版) 鈴木 昶
・日本の名薬(東洋経済新報社) 山崎 光夫
・日本の伝統薬(主婦の友社) 宗田 一
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