昔はこんな薬もありました 12
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~ 牛・馬の薬 ~“昔はこんなもの(薬)もありましたシリーズ、今回は『牛・馬の薬』です。
- 明治10年(1877年)に来日した明治初期のいわゆるお雇い外国人学者の一人である米国人のエドワード・S・モースは東京大学での動物学の教授としての教鞭のかたわら大森貝塚の発掘の他、日本各地を探索し多くの観察や採集を行い当時の日本人の生活をあますところなくコレクションしました。
その中には多くのスケッチや写真、動植物の標本の他の足袋、下駄をはじめとする日常生活用具、民具の他羊羹や金平糖などのお菓子や薬の看板などもあり現在マサチューセッツ州のセイラム・ピーホディー博物館に大事に保管、展示されています。(:小西四郎・岡秀行 構成 「100年前の日本」小学館刊 参照)
そしてそれらの写真のなかには農耕に使われる牛馬の写った日本の農村風景もあり、それらの写真から見てとれるようにわずか100数十年前の日本は自然の豊かな牛馬の活躍する農業国であったことがわかります。
- 筆者が骨董市で入手した明治初期ほどは古くはないせいぜい昭和の初めあたりと推定される古写真をはじめ富山の大手配置薬メーカー広貫堂の引き札の絵を見ても、馬をはじめとする家畜は農村の労働力として農耕などには欠かせない存在であったことがうなずけます。
(1)刈り入れ作業風景
(2)山形縣立荘内農學校 馬耕練習
(3)軽荷馬車
(4)盛岡 馬市場
(5)広貫堂引き札
- そのような時代、現代ではほとんどお目にかかることの無くなったもののひとつにこれらの牛・馬の病気に用いる専用の薬がありました。
例えば胃腸病に用いたり体力をつけたり、牛・馬につきものの虱(しらみ)駆除に用いたりしたのです。ということで今回はそれらの『牛・馬』に用いられた薬をご覧下さい。
『牛馬藥』『牛馬藥』*“フリガナのないらぐすり(内羅薬)とは馬の内臓の病の薬のこと。”
『牛馬藥』
『牛馬壮健散』
『牛馬一方散』
『牛馬ナイラ薬』
『牛馬志らみとり粉』
『牛馬の藥』
『牛馬虱失藥』
『天窓虱失藥』
『牛馬しらみとり粉』
『健機散』
『牛馬精氣散』
『牛馬ないら藥』
『志らみうせ薬』
『牛馬用毛虱駆剤』
〔参考文献〕
・小西四郎・岡秀行 構成 「100年前の日本」 小学館
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