薬業界 老舗歴史シリーズ 3
~ 資生堂 ~薬の業界における長い歴史を持つ老舗とも言える会社、伝統あふれる会社にまつわるコレクションを紹介する老舗歴史シリーズのその三、今回は『資生堂』です。
『資生堂』というと現在我国の化粧品業界の最大手ですが、かつて同社は単なる化粧品メーカーではなかったこと、長い歴史を持つ会社の歴史においては時の社会情勢に翻弄されることなどが今回の資料から読み取れます。
- 現在ではあまり知られていませんが、『資生堂』のもともとの始まりは調剤薬局でした。
明治5年(1872年)、明治維新直後の大火より復興したロンドンのリージェントストリートを模して造られた東京銀座の出雲町に日本初の洋風調剤薬局の『資生堂薬局』が福原有信らによってオープンしました。 これが現在の『東京 銀座 資生堂』の原点、誕生です。
創業者の福原有信は元武家出身で現東大医学部の医学校を卒業後、海軍病院の薬局長に就任。 その後官職を辞した後、同僚と上司から資金面と実務面での協力を得て他の二名とともに三精舎を設立し『資生堂薬局』を興したもので、二階には当時の陸軍軍医総監の松本順に往診にきてもらっていたとのことです。
なお“資生堂”という名称は四書易経の“至哉坤元 万物資生(いたれるかなこんげん ばんぶつとりてしょうず=地の徳はなんと素晴らしいことか。万物はこの大地より生ずる。)”より採った言葉です。
この明治5年(1872年)の時点で福原有信は日本橋に西洋薬の輸入や卸を専門とする「西洋薬舗会社 資生堂」も開設していました。 このように創業の時点ですでに2つの資生堂があったわけで、その後経営権の異動などもからんで明治中期には東京には三井資生堂=本町資生堂、室町資生堂、邑田資生堂などの複数の資生堂があり、その他にも全国には数多くの資生堂を名乗るメーカーがあったようで、つまり連載の№70「神薬」の項でも触れたように、結局は元祖福原資生堂を含めた資生堂に勤務した薬剤師たちがのれん分けをするように○○資生堂を名乗ったようです。
その後明治13年(1880年)には育毛剤の販売を始め、明治21年(1888年)には練歯磨を発売、そして明治30年(1897年)には化粧水の発売を契機として化粧品業界への進出を計り現在の基礎がつくられました。
なお同社の花椿マークは大正4年(1915年)に誕生したもので、当時の『資生堂』の商品のなかで「香油花椿」(髪油)が最も人気があり『資生堂』といえば花椿が連想されるため椿のデザインを商標として採用したものといわれています。
〖ペーパー資料・チラシ・薬類〗
○紀元2533年・明治6年(1873年)の年号の入った上記「西洋薬舗会社 資生堂」の製薬部門の『資生堂調薬局』の商品案内チラシです。
明治6年は資生堂薬局開業の明治5年の翌年ということになり、紙の資料としては最も古いものといえます。
○領収書。明治10年(1877年)。
上記松本順陸軍軍医総監が官職とは別に設立した別会社と推測される松本分社の発行した
領収書で、看板や商品に松本順の名前を使用することなどに対する領収書、受取証だと推測
されます。
○賣藥請賣許可之證。明治10年(1877年)。
上記配藥之證とともに骨董市で入手した許可之證で、内務省発行の神藥をはじめとする賣藥の販売許可証です。
○「資生堂製薬原価並請賣手続一覧表」明治10年(1877年)5月改正
○資生堂配藥方 領収証(牛込早稲田にあった資生堂配藥方の領収証。)
○解熱丸 薬袋 (西洋薬舗会社 資生堂 で調合した 神効解熱丸の薬袋兼納書)
○資生堂 硼酸軟膏(日本薬局方¥.20 戦前の物資不足の時代の貝殻に入った軟膏です。)
○資生堂 シルベロイド錠(鹽化銀コロイド硅酸銀炭末の胃腸内殺菌吸着剤 20錠入 40銭)
○資生堂 ペプリーゼ錠(50錠 二圓三十銭)
○資生堂 マトナ(皮膚外傷藥 30セン)
○資生堂 アスタフィール 効能パンフ
〖参考:これらはいわゆる本家福原『資生堂』のそれではないものと推測されますが、
歴史的にも参考資料としての価値がおおいにあります。〗
●資生堂 小児丸(定価壹銭五厘)
●シゲマ小児せきの薬(銀座三丁目三番地六の田尻資生堂製 藥価十包金三十銭)
●邑田資生堂 一方水 納書
●邑田資生堂看板広告価格表
●『脳神経 DER RECOR』木製看板
●『消化機薬 DE PROSIN 』木製看板
:いずれの看板も現在の『資生堂』とは別会社であった「西洋薬舗会社資生堂」の流れをくむ「三井資生堂」で1880年代から
販売されていた薬の小型木製看板と推測されます。
●『淋病必治 GONOR 麻洗 PROTOR プロトール』木製看板
:詳細は不明ですが上記2枚と同じ由来の木製看板と推測されます。
●団扇:神薬や婦人薬の百調湯を発売していた日本橋区本石町の○に資の商標の資生堂薬舗の団扇。(表・裏)
=包装紙=
○包装紙
A:戦後の花椿をデザインした包装紙ですが良く見ると細部が異なっています。(5種類)
B:戦前の花椿をデザインしたモダンな包装紙です。
C:資生堂ホネケーキの包装紙
D:クリスマス用の包装紙
○資生堂オリーブ石鹸の熨斗紙(贈答用のオリーブ石鹸ののし紙)
=歯磨=
○資生堂 歯磨
○資生堂 歯磨(中煉 23銭)
○資生堂 歯磨(100瓦入 金三十銭)
○資生堂 歯ブラシ 21型
○資生堂 歯磨のチューブ
(戦前大陸へ輸出していたと推定される青鳥印の資生堂歯磨〈牙膏〉の空チューブで、チューブ製造工場のサンプル・見本
のようで他の企業の製品の空チューブと一緒に骨董市で入手しました。珍品です。)
○資生堂 ホワイト パール歯磨(120g ¥100)
○資生堂 ホワイト パール歯磨
○資生堂 ブルー パール歯磨(200g ¥100)
=石鹸・洗粉・シャンプーなど=
○資生堂 フエーシアルソープ 金属製外箱(美術罐)×2個/紙製外箱
○資生堂 Euthriscine SOAP 紙製外箱
○資生堂 オリーブ石鹸
○資生堂 オリーブ石鹸(松坂屋と連携していた商品のようです。)
○資生堂 オリーブ石鹸 紙製外箱
○資生堂 オリーブ石鹸 金属製外箱
○資生堂 ビューティソープ
○資生堂(ホネケーキ・資生堂歯磨ホワイト・歯ブラシ)セット
○資生堂 白ばら洗粉(金 一円十七銭)
○資生堂 シャンプー(壹個五銭 六ヶ入 三十銭)
○資生堂 シャンプー(定価金五銭)
○資生堂 中性シャンプー(一袋三g 定価50円)
○資生堂 オリーブシャンプー(20瓦 定価10円)
○資生堂 髷ネット (定価¥.05 珍品です。)
○資生堂 ポアン かみそり(日本で初めて完成したステンレスのかみそり 定価10円)
○資生堂 カンファーアイス アルミ製容器
○資生堂 手鏡
以下にはこれまで御紹介した歯磨や石鹸、シャンプー以外の『資生堂』の商品や景品類あれこれをご紹介します。
時代の影響もあってか、また企業存続のためか現代の『資生堂』のイメージからは想像も出来ないような商品も作られていました。
=ベビーパウダー=
○資生堂 ベビーパウダー(物資不足の戦時中の製品か? 珍品)
○資生堂 ベビーパウダー(紙箱入り 三十五銭)
○資生堂 ベビーパウダー(缶入り 100瓦入 定価80円)
○資生堂 ベビーパウダー(紙箱入り 120瓦 金八円五十銭)
=洗剤・染料=
○資生堂 洗剤 センタックス(試供品)
○資生堂 洗濯糊(32グラム 35セン)
○資生堂 蛍光染料 ハクセン(10g ¥50)
=マスク・殺虫剤=
○資生堂 マスク×2種類
(いわゆる黒い昔のマスクでもカラス天狗型のマスクできちんと定価が入っています。
定価30銭。カラーは黒、紺の2色が確認されています。)
○資生堂の殺虫粉(南京虫退治 南京虫・蚤・虱等の害虫を驅除す)
○陸軍蚊追粉 大坂陸軍軍需品支廠
(資生堂化學工業株式会社納 昭和十八年十一月
:『資生堂』は化学工業原料を必要とする化粧品のメーカーですが、戦時中はそれらは軍事優先で軍隊が
取り仕切っていました。時折骨董市で見つけますが珍品の一つです。)
○東菊懐爐灰・渦巻型
(製造元は東京除中菊工業株式会社、販売元が資生堂の製品です。)
=景品=
○資生堂 高級潤性パステル イーゼル ピグメント のノベルティス・景品の紙石鹸。
(残念ながらパステルは入手していません。)
○資生堂 パール歯磨 景品鉛筆
○資生堂 歯磨・石鹸 景品マッチ
○資生堂 歯磨・石鹸 景品マッチの金属製保護器
(:マッチ自体使われなくなりましたが、そのマッチ箱の広告を兼ねた金属製保護器で珍品です。)
○資生堂 景品 布巾(ふきん)
○資生堂 スペシャル化粧品 広告 印刷原板
(:どうゆうルートで骨董市に流れてきたものか…珍品です。)
○資生堂 PETIT POT
=広告媒体=
○資生堂 店頭用 提灯 資生堂石鹸
(:中にロウソクが立つようになっていますが、複数を並べて電球であかりをともしたものと思われます。)
○資生堂 石鹸・パール歯磨 琺瑯看板
○資生堂 洗濯石鹸 暖簾
資生堂 オリーブ石鹸 暖簾
資生堂 パール歯磨 暖簾
○資生堂 ポスター
(:昭和40年代と推定され、オゾン層の破壊、紫外線やUVの害など全く考えられなかった時代のポスターです。)
○資生堂 花椿
(:これらは昭和25年から昭和30年当時の冊子です。)
≪付録:資生堂コレクションあれこれ≫
○紀元2533年・明治6年(1873年)の年号の入った上記「西洋薬舗会社 資生堂」の製薬部門の『資生堂調薬局』の商品案内チラシです。
明治6年は資生堂薬局開業の明治5年の翌年ということになり、紙の資料としては最も古いものといえます。
○同じく明治6年(1873年)の『資生堂調薬局』の商品案内チラシです。 |
○配藥之證。「西洋薬舗会社 資生堂」で調合した薬を取り扱う取り次ぎ店に対する証明證と思われます。 |
○領収書。明治10年(1877年)。
上記松本順陸軍軍医総監が官職とは別に設立した別会社と推測される松本分社の発行した
領収書で、看板や商品に松本順の名前を使用することなどに対する領収書、受取証だと推測
されます。
○賣藥請賣許可之證。明治10年(1877年)。
上記配藥之證とともに骨董市で入手した許可之證で、内務省発行の神藥をはじめとする賣藥の販売許可証です。
○「資生堂製薬原価並請賣手続一覧表」明治10年(1877年)5月改正
○資生堂配藥方 領収証(牛込早稲田にあった資生堂配藥方の領収証。)
○解熱丸 薬袋 (西洋薬舗会社 資生堂 で調合した 神効解熱丸の薬袋兼納書)
○資生堂 硼酸軟膏(日本薬局方¥.20 戦前の物資不足の時代の貝殻に入った軟膏です。)
○資生堂 シルベロイド錠(鹽化銀コロイド硅酸銀炭末の胃腸内殺菌吸着剤 20錠入 40銭)
○資生堂 ペプリーゼ錠(50錠 二圓三十銭)
○資生堂 マトナ(皮膚外傷藥 30セン)
○資生堂 アスタフィール 効能パンフ
〖参考:これらはいわゆる本家福原『資生堂』のそれではないものと推測されますが、
歴史的にも参考資料としての価値がおおいにあります。〗
●資生堂 小児丸(定価壹銭五厘)
●シゲマ小児せきの薬(銀座三丁目三番地六の田尻資生堂製 藥価十包金三十銭)
●邑田資生堂 一方水 納書
●邑田資生堂看板広告価格表
●『脳神経 DER RECOR』木製看板
●『消化機薬 DE PROSIN 』木製看板
:いずれの看板も現在の『資生堂』とは別会社であった「西洋薬舗会社資生堂」の流れをくむ「三井資生堂」で1880年代から
販売されていた薬の小型木製看板と推測されます。
●『淋病必治 GONOR 麻洗 PROTOR プロトール』木製看板
:詳細は不明ですが上記2枚と同じ由来の木製看板と推測されます。
●団扇:神薬や婦人薬の百調湯を発売していた日本橋区本石町の○に資の商標の資生堂薬舗の団扇。(表・裏)
=包装紙=
○包装紙
A:戦後の花椿をデザインした包装紙ですが良く見ると細部が異なっています。(5種類)
B:戦前の花椿をデザインしたモダンな包装紙です。
C:資生堂ホネケーキの包装紙
D:クリスマス用の包装紙
○資生堂オリーブ石鹸の熨斗紙(贈答用のオリーブ石鹸ののし紙)
○資生堂 歯磨
○資生堂 歯磨(中煉 23銭)
○資生堂 歯磨(100瓦入 金三十銭)
○資生堂 歯ブラシ 21型
○資生堂 歯磨のチューブ
(戦前大陸へ輸出していたと推定される青鳥印の資生堂歯磨〈牙膏〉の空チューブで、チューブ製造工場のサンプル・見本
のようで他の企業の製品の空チューブと一緒に骨董市で入手しました。珍品です。)
○資生堂 ホワイト パール歯磨(120g ¥100)
○資生堂 ホワイト パール歯磨
○資生堂 ブルー パール歯磨(200g ¥100)
=石鹸・洗粉・シャンプーなど=
○資生堂 フエーシアルソープ 金属製外箱(美術罐)×2個/紙製外箱
○資生堂 Euthriscine SOAP 紙製外箱
○資生堂 オリーブ石鹸
○資生堂 オリーブ石鹸(松坂屋と連携していた商品のようです。)
○資生堂 オリーブ石鹸 紙製外箱
○資生堂 オリーブ石鹸 金属製外箱
○資生堂 ビューティソープ
○資生堂(ホネケーキ・資生堂歯磨ホワイト・歯ブラシ)セット
○資生堂 白ばら洗粉(金 一円十七銭)
○資生堂 シャンプー(壹個五銭 六ヶ入 三十銭)
○資生堂 シャンプー(定価金五銭)
○資生堂 中性シャンプー(一袋三g 定価50円)
○資生堂 オリーブシャンプー(20瓦 定価10円)
○資生堂 髷ネット (定価¥.05 珍品です。)
○資生堂 ポアン かみそり(日本で初めて完成したステンレスのかみそり 定価10円)
○資生堂 カンファーアイス アルミ製容器
○資生堂 手鏡
以下にはこれまで御紹介した歯磨や石鹸、シャンプー以外の『資生堂』の商品や景品類あれこれをご紹介します。
時代の影響もあってか、また企業存続のためか現代の『資生堂』のイメージからは想像も出来ないような商品も作られていました。
=ベビーパウダー=
○資生堂 ベビーパウダー(物資不足の戦時中の製品か? 珍品)
○資生堂 ベビーパウダー(紙箱入り 三十五銭)
○資生堂 ベビーパウダー(缶入り 100瓦入 定価80円)
○資生堂 ベビーパウダー(紙箱入り 120瓦 金八円五十銭)
=洗剤・染料=
○資生堂 洗剤 センタックス(試供品)
○資生堂 洗濯糊(32グラム 35セン)
○資生堂 蛍光染料 ハクセン(10g ¥50)
=マスク・殺虫剤=
○資生堂 マスク×2種類
(いわゆる黒い昔のマスクでもカラス天狗型のマスクできちんと定価が入っています。
定価30銭。カラーは黒、紺の2色が確認されています。)
○資生堂の殺虫粉(南京虫退治 南京虫・蚤・虱等の害虫を驅除す)
○陸軍蚊追粉 大坂陸軍軍需品支廠
(資生堂化學工業株式会社納 昭和十八年十一月
:『資生堂』は化学工業原料を必要とする化粧品のメーカーですが、戦時中はそれらは軍事優先で軍隊が
取り仕切っていました。時折骨董市で見つけますが珍品の一つです。)
○東菊懐爐灰・渦巻型
(製造元は東京除中菊工業株式会社、販売元が資生堂の製品です。)
=景品=
○資生堂 高級潤性パステル イーゼル ピグメント のノベルティス・景品の紙石鹸。
(残念ながらパステルは入手していません。)
○資生堂 パール歯磨 景品鉛筆
○資生堂 歯磨・石鹸 景品マッチ
○資生堂 歯磨・石鹸 景品マッチの金属製保護器
(:マッチ自体使われなくなりましたが、そのマッチ箱の広告を兼ねた金属製保護器で珍品です。)
○資生堂 景品 布巾(ふきん)
○資生堂 スペシャル化粧品 広告 印刷原板
(:どうゆうルートで骨董市に流れてきたものか…珍品です。)
○資生堂 PETIT POT
=広告媒体=
○資生堂 店頭用 提灯 資生堂石鹸
(:中にロウソクが立つようになっていますが、複数を並べて電球であかりをともしたものと思われます。)
○資生堂 石鹸・パール歯磨 琺瑯看板
○資生堂 洗濯石鹸 暖簾
資生堂 オリーブ石鹸 暖簾
資生堂 パール歯磨 暖簾
○資生堂 ポスター
(:昭和40年代と推定され、オゾン層の破壊、紫外線やUVの害など全く考えられなかった時代のポスターです。)
○資生堂 花椿
(:これらは昭和25年から昭和30年当時の冊子です。)
≪付録:資生堂コレクションあれこれ≫
これらのコレクションは昭島市十字堂薬局で保管、一部展示をしています。
(1)資生堂 『ミニ香水コレクション』 |
(2)エリクシールの販促品 『洋服ブラシ』(表)昭和50年代 |
(3)エリクシールの販促品 『洋服ブラシ』(裏)昭和50年代 |
(4)花椿会ノベルティ 『パウダーケース』1962年 |
(5)『パウダーケース』 |
(6)花椿会50周年記念 『フレグランス』 |
(7)『ハンディ-ミラー』1980年代 |
(8)『手鏡』昭和40年代 |
(9)『パウダーケース』1964年 |
(10)椿文『化粧小物入れ』1970年代 |
(11)ファンタジールビークラス 『ファンシーミラー』 |
(12)『財布』1970年代 |
(13)『コンパクト』 径絹八枚米子縫取 |
(14)『二段式ファンシーケース』1966年 |
(15)『セカンドバッグ』1966年 |
(16)花椿会ゴールド記念品『くし』 |
(17)『ネールケアセット』 |
(18)シルバークラス 『ハンディーミラー』 |
(19)花椿会プリンセスハンドミラー 『手鏡』昭和36年 |
(20)『ファンデーション』 |
(21)花椿会ゴールドクラスのノベルティ 『ファンタジーコーム収納ケース付き』1970年 |
(22)ゴールドクラス『鏡』1969年 |
(23)『ジュエリーケース』 |
|
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