今は昔 売薬歴史シリーズ 18
~ 太乙膏 ~今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝える伝統薬シリーズ、ここのところ続けて皮膚薬の『オゾ』『トフメル』を取り上げましたが、十八回目の今回は『太乙膏』を御紹介いたします。
◎『太乙膏』 = 〖神仙太乙膏(タイツコウ)〗
- 前回、前々回とご紹介しました『オゾ』『トフメル』は我国で創製された処方の皮膚薬ですが、今回の『太乙膏』は原典が中国の宋時代(西暦960年~1279年)に編集されたいわば国定処方集ともいうべき“太平恵民和剤局方”に記載されていた処方をもとにした外用薬です。
- 漢方でよく用いられる三大皮膚病外用薬には「紫雲膏」「中黄膏」と『太乙膏』があります。
うち「紫雲膏」は江戸時代の外科医、紀州の華岡青洲が「潤肌膏」に改良を加えて作りだしたもので、また「中黄膏」も華岡青洲が「黄連膏」に改良を加えて作り出したいわば国産の皮膚病外用薬です。
一方〖神仙太乙膏〗は輸入処方薬ともいえる製剤で“太平恵民和剤局方”の「太乙膏」に準拠した和剤局方「太乙膏」を現代によみがえらせたといえる漢方製剤です。(日本薬局方の薬局方という名称も太平恵民和剤局方からとったものです。)
コレクションの『太乙膏』は貝殻入りの定価10銭の戦前の製品で裏面には漢語で効能と用法が書かれており、1銭の日本政府の印紙が貼られています。 印紙が貼られているところから売薬印紙税がかけられてた明治15年(1882年)から大正15年(1926年)の間に作られた製品と思われますが、単に「太乙膏」というとメーカーによっては“太平恵民和剤局方”の「太乙膏」とは無関係の漢方処方ではない太乙膏((5)の[太乙膏]参照)もあるので注意が必要となります。
一説によりますと日本の漢方は中国伝来の湯液を主として継承発展したところから「太乙膏」などの軟膏類は忘れ去られてしまったものを50年ほど前の当時の理科大教授の長沢元夫教授が再発見して市場に登場したといわれています。
この『太乙膏』は漢方の本場の中国向の輸出製品であることからまた個人的希望からも本来の太平恵民和剤局方の太乙膏ではないかと思われますが同製品の表や、同社のチラシには薬学博士丹波敬三先生指導創製と書かれています。
丹波敬三先生とは明治11年(1878年)に東京大学製薬学科を卒業し、後に日本薬学会を創立したり、日本薬局方の制定にかかわったり、また東京大学の教授に就任、日本薬剤師会会長なども歴任、また大正6年(1917年)には現東京薬科大学、東京薬学専門学校の校長にも就任した明治期から大正期にかけての日本薬学会の重鎮であった人物です。
ところで丹波敬三先生は平成18年(2006年)に逝去した俳優の丹波哲郎氏の祖父にあたる人物でもあります。 丹波哲郎氏といえば“大霊界”に代表されるようにこの世とあの世の通信に熱心だったので、あの世の丹波哲郎氏さらには祖父の丹波敬三先生と連絡が取れればこの『太乙膏』が“太平恵民和剤局方”処方の『太乙膏』なのか?別物の(5)のような『太乙膏』なのか?確かめられるのではと思っております。
(1) 『太乙膏』
(2) 『太乙膏』チラシ・生盛藥舘薬価表
:薬学博士丹波敬三先生指導創製とあります。
(3) 生盛藥舘チラシ:賣藥行商親玉とあります。
(4) 〖神仙太乙膏(タイツコウ)〗
:“太平恵民和剤局方”に準拠の太乙膏。
当帰・桂皮・大黄・芍薬・地黄・玄参・白止・ゴマ油・蜜蝋からなります。
(5) [太乙膏]
:成分がホモスルファミン、カンフル、酸化亜鉛からなる漢方製剤ではない太乙膏。
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〖現代の製品〗 |
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- 付記:
- 太乙は中国語では太極と同音で同じ意味となりますが、太極とは万物の根源であり、ここから陰陽が生じるという易学における根源の概念です。
太極というと太極図が有名ですが、ちなみに韓国(大韓民国)の国旗は通称太極旗と呼ばれ白地の中央の円では太極を表し、赤と青の陰陽があり、また四方周囲には八卦でいうところの四卦(左上から天・水・地・火)を配しています。
太極旗 太極図
〔参考文献〕
・名薬探訪 加藤 三千尋 同時代社
〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局 荻野 祥子 先生
・名薬探訪 加藤 三千尋 同時代社
〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局 荻野 祥子 先生
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