薬と歴史シリーズ 20
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~ 赤痢・チブス・コレラ・ペスト ~衛生思想や伝染病に関係する資料を紹介する今回の歴史シリーズ、前回の結核に引き続いて赤痢、チブス、コレラ、ペストに関連の資料を紹介いたします。
③赤痢関連資料
- 疫病・伝染病・感染症には 前号② の結核や感冒のように呼吸器系の感染症と消化器系の感染症がありますが、③以降は消化器系の感染症を取り上げてみたいと思います。
初めに取り上げるのは粘液質の血便をすることから名付けられた赤痢です。
『ハイをみんなで退治しましょう』(白鷹町厚生課)
*消化器系の伝染病を媒介する代表的害虫は蠅(はえ・はい)です。
後日殺虫剤のコーナーで様々な資料を紹介する予定です。
『衛生の注意』(長久手村聯合衛生會 長久手村少年赤十字團 昭和3年-1928年)
*長久手とは戦国時代徳川家康が豊臣秀吉と戦った小牧長久手の戦いで有名な地。
“蠅は努めて捕滅し飲食物にとまらぬ様にしませう”
『赤痢豫防の心得』(明治32年-1899年)
*罹患下ならば必ず醫師の診療を受け、賣藥などで治療をしない事、韮が豫防に効果のあることなどが書かれています。
『赤痢豫防(せきりはふせげる)』(安中保健所 安中町役場)
*現代のような上下水道が普及完備せず井戸水に頼り、また人糞を肥料として使っていた時代のポスターで、
“大便を食うな!!”と書かれています。
『赤痢の予防』(東京都衛生局)
*東京市から東京都制に施行になった昭和18年-1943年以降の啓蒙ポスターです。
『赤痢疫痢の豫防』(警視廳 昭和11年-1936年)
*裏面には“赤痢は三歳から六歳の小児に多く、六月から九月に流行り、これにかゝれば十人中四人まで生命をとられます。”
と書かれています。
『領収書』(谷中衛生婦人會 昭和14年-1939年)
*裏面に赤痢疫痢の豫防法、ヂフテリア猩紅熱の豫防法が書かれ、
◎罹って泣くより笑って豫防!
◎銃後の護り 健康第一!
◎備へよ 常に 健康報國!
の標語が書かれています。
④腸チブス資料
- 現代でも国外感染により時折発生する経口感染法定伝染病。
第一選択薬のクロラムフェニコール「クロマイ」により予後はきわめて良くなりましたが、一般医師からは忘れられつつあり初期の診断決定が遅れがち。
『膓チブス豫防上の注意』(豊能郡衛生會 大正13年-1924年)
『窒扶斯新論』(明治元年-1868年)
⑤コレラ資料
- 最も恐れられ格列刺、虎列刺と書かれるコレラは、三日コロリと称されるように急性で激烈な下痢(:米のとぎ汁様。1日10L以上も。)と嘔吐を伴う経口伝染病。
『虎列刺病豫防心得』
*“この病気に罹れば大概百人中六十人以上は死にます。”と書かれております。
『諸名家虎列刺病篇』
*手書きですが明治10年(1878年)の内務省衛生局報告はじめ虎列刺病豫防法内務省布達や阿片(:止瀉)による治療や
煮沸による飲水の消毒の必要性について等々実際的なことが書かれており、明治前期の書物と推測されます。
『コレラ病豫防注意』(千葉縣衛生課 大正5年-1916年)
『同学校への通牒』(内務部長 大正5年-1926年)
*横浜に入港の汽船ハワイ丸にてコレラが発生。長崎、大阪においても続発したとの緊急通知とそれに伴い縣下で続発、
蔓延の兆候の学校長宛ての通知。
『コレラ豫防の心得』(内務省衛生局)
*“治療が遅れると助かるものも死ぬ、ぐずぐずしていると全家族へ伝染し一家全滅の悲惨を来すことが少なくない。”
と書かれております。
⑥ペスト資料
- 黒死病とも呼ばれた中世ヨーロッパでは大流行により歴史にも大きな影響を与えた程の疫病の代表。
鼠・ノミが媒介するが、我国では昭和2年以降は国内発生はない。
『ペスト病豫防の心得』(大日本私立衛生會 明治32年-1899年)
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