薬と歴史シリーズ 21
~ 回虫・脚気トラホーマ ~薬や病気にまつわる歴史を追って来たこのシリーズ、今回は衛生思想や伝染病に関係する資料を紹介して日本人の健康追及の努力の道をたどってみたいと思います。
II)現代では見られなくなったその他の感染症など
①蛔蟲
- 蛔蟲を初めとする寄生虫については売薬紹介シリーズ10「虫下し」も参照して下さい。
『今尚ほ 蛔蟲の被害を輕視する國民』(藤澤友吉商店)
らか圖原たし供に覧天※天覧とは天皇陛下が
御覧あそばされたと
いう意味(表) 預け袋 (裏)
②脚気
- 栄養失調症の一種でビタミンB1の欠乏によりおこる脚気は米(白米)を主食とする東洋独特の病で末梢神経が犯され下肢麻痺・浮腫・歩行困難となり悪化すると心臓障害(脚気衝心)を来し苦悶して死に至る病。玄米でなく白米を摂るため江戸やまいと呼ばれたり乱脚、脚疾などとも呼ばれました。
『脚氣論』(陸軍一等軍医 石黒忠直 著 明治11年-1878年)
*明治初期、当時の漢方医と西洋医の間で脚気の治療にはどちらが有効か?という論争が行われました。“漢洋脚気相撲”と称され、明治11年に神田に脚気病院が作られ両者の治療比較が行われましたが、
原因がビタミンB1の欠乏にあると解明されていない時代のため決め手にはなりませんでした。
『脚氣の話』(内務省社會局保險部 昭和7年-1932年)
*ビタミンBの必要性、食生活の改善の必要性が説かれています。
*塩野義月報(大正15年5月15日号)
同社のVB製剤の「パラヌトリン」を宣伝していますが
表紙にものすごい脚気患者の絵が描かれています。
③トラホーム(トラコーマ)
- クラミジアによる伝染性慢性結膜炎。結膜の充血・肥厚をおこし放置すれば角膜に混濁をおこし視力障害、慢性涙嚢炎を起こし失明にいたります。
かつては目の国民病で硝酸銀の点眼を行ったりしましたが、戦後テトラサイクリン系抗生物質(眼軟膏)などが特効的効果を示し激減、昭和58年(1983年)にはトラホーム予防法が廃止されました。
『トラホーム豫防に就いて トラホーム治療に就いての注意』 (埼玉縣トラホーム豫防醫會 大正4年-1915年)
『トラホーム豫防 目は大切』 (財團法人 日本トラホーム豫防協會 昭和10年-1935年)
『トラホームの話』 (簡易保險局 昭和11年-1936年)
眼病のトップにトラホームが書かれています。明治44年(1911年)眼科医院のチラシ
〔参考資料〕
・“ウイルス眼炎會誌別冊 トラホーム予防協会のあゆみ” (昭和60年-1985年)
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- 栄養失調症の一種でビタミンB1の欠乏によりおこる脚気は米(白米)を主食とする東洋独特の病で末梢神経が犯され下肢麻痺・浮腫・歩行困難となり悪化すると心臓障害(脚気衝心)を来し苦悶して死に至る病。玄米でなく白米を摂るため江戸やまいと呼ばれたり乱脚、脚疾などとも呼ばれました。