昔はこんな薬もありました 25
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~ 注射薬 ~- 昔はよく風邪にしろ、疲労回復にしろ“では注射を一本打ちましょう。”と良く注射が打たれたようで、もちろん現在でも注射薬は予防接種はじめさまざまな医療の現場で使われていますが、リンゲル液はじめ多くの注射薬は点滴製剤、輸液製剤に取って代わられ、また注射薬も点滴に加えられて投与されるなど、かつて幼児期の注射によって大腿四頭筋拘縮症(大腿四頭筋短縮症)なども発症したことなどから直接注射を打たれることは滅多になくなりました。
- ということで今回はコレクションのなかから昔の注射薬を取り上げてみました。
まずはじめに昔の現在の注射薬のアンプル形状とは随分と異なる形をした注射薬をご覧下さい。
『2%塩化カルシウム注射液』(中外製薬) |
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『20%葡萄糖注射液中外』(中外製薬) |
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『沃度カルチウム液』(三共株式会社) |
『ゲネグランドール(卵巣製剤)』 (三共株式会社) |
『BAGNON』(武田長兵衛商店) |
『Novasurol』 (バイエル-武田長兵衛商店) |
『ミルス』(丸石製薬) |
『カムラジン』(丸石製薬) |
ではそれ以外の注射薬のパッケージコレクションをご覧下さい。
『ヌペルカイン注射液』 (スイスCIBA-武田長兵衛商店) |
『クリオビン』 (武田薬品工業) |
『シーメタ注射液タケダ』 (武田薬品工業) |
『ビタミンB1注射液』 (武田薬品工業) |
『ビタミンB1注射液』 (三共株式会社) |
『ビタミンB1注射液』 (三共株式会社) |
『オリザニン注射液』 (三共株式会社) |
『オリザニン注射液』 (三共株式会社) |
『強力オリザニンレッド』 (三共株式会社) |
『スチムリン・デー』 (三共株式会社) |
『カンフルオレフ油』 (三共株式会社) |
『エナジン』 (田邊製薬) |
『ヂギヘルトン注射液』 (田邊製薬) |
『ロンチリン注射液』 (田邊製薬) |
『ビタミンB1注射液』 (田邊製薬) |
『トリアノン注射液』 (田邊製薬) |
『ヘパトキシン』 (田邊製薬) |
『ヂギタミン注射液』 (塩野義製薬) |
『ヂギタミン注射液』 (塩野義製薬) |
『ネオエーラミゾール』 (萬有製薬) |
『カンフルオレフ油』 (乾保之助商店) |
『理研カンフェナール』 (理研) |
『ビタビワン ショーワ』 (昭和製薬) |
『オムニン コメット』 (黒田製薬) |
『セールモン』 (セールモン製薬) |
『塩酸プロカイン注射薬』 (大阪注射薬研究所) |
『コータミン イトヨシ』 (伊藤由製薬) |
『ファイナリン注』 (山之内製薬) |
『ゾンジール 一號』 (泉原新藥) |
『テネスコール』 (常磐製薬) |
『ナイクリン注射液』 (山之内製薬) |
『強力メタボリンG』 (武田薬品) |
『水溶性ジンテックス』 (田邊製薬) |
『ベナ注射液』 (田邊製薬) |
『ブロムグレラン』 (武田薬品) |
『クロール・トリメトン注』 (中村滝製薬) |
『エフェドリン”NAGAI”』 (日本製薬) |
『トロピン注射液』 (武田薬品) |
『バルフェニール』 (セールモン製薬) |
『クロール・トリメトン注』 (中村滝製薬) |
『エフェドリン”NAGAI”』 (日本製薬) |
『トロピン注射液』 (武田薬品) |
『バルフェニール』 (セールモン製薬) |
『塩酸エフェドリン注射液』 (大日本製薬) |
『ビオ・ビタス』 (杏林製薬) |
『パパスコ注』 (模範薬品) |
『ベナルゲン注射液』 (丸石製薬) |
『塩酸エフェドリン注射液』 (大日本製薬) |
『ビオ・ビタス』 (杏林製薬) |
『パパスコ注』 (模範薬品) |
『ベナルゲン注射液』 (丸石製薬) |
【珍品】注射薬のコレクションの中でも珍しい品物をご紹介します。
(A)ペニシリン注射液で注射器とセットになっていました。
『油性結晶プロカインペニシリンG注射液』(タケダ) |
『油性プロカインペニシリン注射液 萬有』(萬有製薬) |
(B)ヒロポン注射液(箱と納書)
ヒロポンについては「昔はこんな薬もありました2」で錠剤のヒロポンの瓶を紹介しましたが、薬物乱用防止の観点からも改めてヒロポンについて解説の一部を再録したいと思います。
この前の敗戦(終戦)の頃“ポンちゅう”という言葉がありましたが、つまりヒロポン中毒のことで、覚醒剤と覚醒剤中毒の代名詞が昭和18年から25年にかけて(旧)大日本製薬が発売したヒロポンでした。
我国薬学の祖として有名な長井長義はドイツ留学の後、明治16年(1883年)の政府出資官製会社の大日本製薬の設立に技師長(のち東大教授)として参画、その後明治18年(1885年)には麻黄よりエフェドリンを単離し世界で初めてエフェドリンと命名し、その後誘導体のアンフェタミン類までをも抽出合成に成功しました。
この喘息治療薬のエフェドリンの合成過程から誘導されるアンフェタミン類つまりアンフェタミンとメタンフェタミンのうち、メチル基の付いているメタンフェタミンの方が薬理作用が強くこれがヒロポンで、メタンフェタミンは明治26年(1893年)に長井長義により合成されたものです。 ちなみにエフェドリンは現代でも覚醒剤密造の主原料となっています。
(エフェドリンや麻黄成分を含む市販の風邪薬の値段が高いのは密造をしても採算が取れないようにするためという説があります。)
これは珍しいヒロポンの注射液の空箱です。
上段の箱は東京市と書かれているところから戦前昭和18年(1943年)以前の製品。 下段は東京都とあるところから昭和18年以降の製品とケースと推察されます。
右に納品の一部を抜粋しますが、特に上記ヒロポンの納書には現代からみるとずいぶんと大胆なことが書かれています。
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〔付録〕 ヒロポン(20錠入り)の小型ガラス瓶です。 高さ3cm横2cm位の大きさです。 携帯用だったのか?頓服用だったのか? いずれにせよ注射を含めてかなり広範囲 に使用されていたようです。 |
【注射薬の宣伝葉書き】
こちらは注射薬の宣伝の入った葉書きのコレクションです。いずれも当時の印刷技術の粋を凝らした綺麗なデザインのものばかりです。
【おまけ その1】
最近ではこんなに太い注射を打たれることはなくなりました。
【おまけ その2】
(1)明治6年(1873年)に発刊された注射に関する和装本です。金属製の注射器の絵が画かれています。 |
(2)(3) 戦前の注射の保険点数表です。 医療行為上注射が別格の存在 だったことがうかがえます。 |
(2) |
(3) |
【おまけ その3】
こちらは注射の威力に負けじと向こうを張った(はりあった)飲み薬を紹介いたします。『赤ぐすり 青ぐすり』預け袋
赤ぐすりは風(風邪)や熱に、青ぐすりは胃痛や腹痛下痢に用いますが、預け袋(;配置売薬の業者が薬を入れてお得意先に預けておく袋で、裏面には次回訪問した際に精算できるように計算表が書かれている。)の中央に大きく注射代用と書かれています。
実際に注射の代用になるかはともかく、お医者さんに様々な理由でかかれなかった時の大きな助けになったことは確かでしょう。
(表) |
(裏) |
『注射代用腹痛薬 新進』内袋
内袋とはこの中に幾つかその薬を入れて、他の薬の内袋とともに預け袋に入れておくものです。 この内袋には“注射にまさる”と大きく書かれています。また腕に注射をするデザインが描かれています。
『注射イラズ』
ズバリ注射は必要ないという名前の『注射イラズ』です。
ヒートの糸を引っ張ると錠剤が取り出せるという凝った容器に入った腹痛の薬です。
『一括丸』
やはり注射代用と書かれた腹痛の薬です。
ききめ千両と書かれていますが、この千両とは千両役者という言葉とおなじように価値の高いという意味です。
その他パッケージに注射器がデザインされた置き薬を四種類ご紹介します。
『トンプク タカ胃腸散』 |
『腹痛トンプク』 |
『強力ハラトン 大光丸A』 |
『鎮咳 日産エフドリン』 |
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