薬と歴史シリーズ 5 つづき
~ 戦争と薬の広告・景品たち(その2) ~10. 昭和十六年八月“寶塚歌劇花組”講演カタログ
- 裏表紙にはクラブ乳液の広告が、中には兵隊をデザインした「ノーシン」の広告が見られますが、表紙には次の標語が書かれています。
『逃がすなスパイ 喋るな機密』
11. 濃縮小粒肝油「トリカ」チラシ
- 裏面に戦時下に歌われた歌詞が書かれています。
『みんな揃って翼賛だ』『出せ一億の底力』『燃ゆる大空』『兵隊さんよありがたう』『隣組』
翼賛とは昭和17年に東条英機首相の主唱により行われた大政翼賛運動のこと。
隣組とは戦時下、国民統制のために作られた町内会の下に作られた地域組織。
12. 武田「強力メタボリン錠」おまけ昭和十八年(皇紀2603年)暦・授業時間表
- 次の標語が書かれています。
『今日も決戦 明日も決戦』 『鍛えよ身軆 頑ばれ貯蓄』
(縦25.3cm×横17cm)
13. 相撲番付、相撲四十八手圖解入り「エビオス」広告
- 次の標語が書かれています。時局という言葉は当時の演説でよく使われた言葉。
『創れ体力 押し切れ時局』
ちなみに「エビオス」とは研究所のあった恵比寿と商品のエビスビールの“エビ”とラテン語で生命の基を意味する“ビオス”を合成した名前とのことです。
14. 「健胃固腸丸・小児固腸丸・健胃固腸錠」ラジオ体操(国民体操)帳
- 次の標語が書かれています。
『健康報国』 『健康は國の礎』 『鍛えよ銃後の少年少女』
“時局は今や戦場も銃後もありません。うって国民一丸となって聖戦貫徹のため・・・。”
15. 「銃後ネット」
- 富山の配置売薬業者がおまけで配ったヘアーネット。真ん中の婦人は大日本國防婦人会のたすきを掛けています。大日本國防婦人会は昭和17年に愛国婦人会と統合して大政翼賛会の下部組織となりましたので、それ以前のものと思われます。
16. 打ち粉「パーキュロ」とおまけニホンリクグンヌリエ(日本陸軍ぬりえ) & 「清涼丹」
- 「パーキュロ」本体には赤いラベルが巻かれていますが、慰問好適品と書かれていることから慰問袋に入れて送られた品物と思われます。
慰問袋とは出征兵士を慰めるために薬や日用品などを入れて内地から前線へ送った袋のこと。
- またラベルには次の標語が書かれています。
『武運長久 皇軍萬歳』
皇軍とは天皇が統率する軍隊。つまり旧陸海軍のこと。別名すめらみいくさ。
17. 「オイン」おまけ兵隊さん紙おもちゃ
- 現代でも中国物産展などで見かけるおもちゃです。
18. 「テラポール軟膏」おまけ団扇
- 「テラポール」は昭和12年(1937年)に第一製薬が合成した国産初のサルファ剤です。
この景品の子供用団扇には戦争ゴッコをする子供の絵が描かれています。
ちなみに昭和12年は、かのサダムフセインが誕生した年です。
19. 武田「強力メタボリン錠」広告入り市電切符
- 市電とは東京市(明治21年~昭和18年)で走っていた路面電車のことですが、
『戦い抜かう!大東亜戦』
とあることから太平洋戦争当時の切符と思われます。
20. 武田の「ポリタミン」の景品 “紙製組立て 装甲車”
- 「ポリタミン」は液体の総合栄養剤でこの景品はかなり豪華なものです。
以上、今回はコレクションのなかから戦争の影響を受けた薬関係の広告、パンフレット、薬の景品などを一部御紹介いたしましたが、これらの資料からも太平洋戦争・大東亜戦争は国民生活の隅々まで戦争の影響が及んだ国力・総力を挙げての総力戦であったことが読み取れます。
伝承薬の事典 東京堂出版 鈴木 昶
日本の名薬 東洋経済新報社 山崎光夫
図説 日本海軍 河出書房新社 太平洋戦争研究会
日本海軍がよくわかる事典 PHP文庫 太平洋戦争研究会
日本陸海軍航空機ハンドブック PHP文庫 多賀 一史
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