昔はこんな薬もありました 8
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~ 『立川ペニシリンパウダー』他 ~このシリーズもすでに8回目を数えるわけですが、今回は今も手に入る成分ですが、こんな風に使われていたという品物を御紹介したいと思います。
1. 『立川ペニシリンパウダー』
- これは立川といっても立川市でなく当時は立川医薬品工業(株)、昭和56年頃の薬価本にも立川ペニシリン(株)として収載されている抗生物質メーカーが作っていたペニシリンの粉末製剤、つまりシッカロールです。
その成分の製法は次のようなものです。
“プロカインペニシリンにホモスルファミン、銅クロロフィンナトリウム、日局炭酸カルシウム、タルク、亜鉛華、
カオリン、焼明礬及び香料を加え無菌的に操作し1瓦1000単位になる様に製造しました。”
このコレクションは記載の最終有効年月日が昭和33年(1958年)3月とあることから昭和30年頃に製造されたもののようですが、その適応症が現代では考えられないものです。
つまり“ニキビ、吹出物等の化膿性皮膚病、軽い化膿性外傷”は理解出来ますが、シッカロールとした目的は次の効能にあるようです。つまり“あせも、たゞれ、おしめかぶれ、多汗症、体臭の悪臭除去”。
ペニシリンは第二次大戦中の1941年に実用化され“魔法の弾丸”と称され、そのニュースは中立国アルゼンチンから電報で伝えられ、さらに当時の英国首相のチャーチルの重症肺炎がペニシリンで完治したというニュースは時の大本営に大きなショックを与えたとのことです。
抗生物質の副作用というとペニシリンショックに代表されるアレルギーと耐性が有名ですが、仮に“魔法の弾丸”を盲信したとしても今の知識からすれば抗生物質のペニシリンを乳幼児の“あせも、たゞれ、おしめかぶれ・・・”にまで使ったらアレルギーや耐性を起こしてしまうのは当然のような気がします。
この『立川ペニシリンパウダー』と同じような製品『東洋ペニシリンパウダー』『東洋ロイコマイシンパウダー』の可愛い赤ちゃんの店頭吊り下げポスターも御紹介して、いかに薬の乱用が危険なものか・・・の教訓としたいと思います。
2. 『金鳥BHC』『BHCフマキラー』『ライオンBHC』
- 疥癬という皮膚病があります。御存じのようにヒゼンダニが人の皮膚の最外層にある角層の部分に寄生することにより発症する痒みの強い皮膚の感染症で、日本での流行は敗戦後の混乱期の衛生状態も栄養状態も悪い昭和20~23年頃に爆発的に広がり、当時の皮膚科の外来患者の8割近くが疥癬の患者であったとのことです。
この時の流行が去ったあと1970年代の中頃から再び増加をはじめダラダラと根絶できずに現在に至っていますが、最近では特に老人病院での集団発生、それも一人の患者さんに100万~200万匹ものダニが感染する悪質なノルウェイ疥癬の発生が問題となっています。
その治療には殺虫効果の高い殺虫剤・γ-BHC(1,2,3,4,5,6-Hexachlorocyclohexane,Lindane)を用いるのが本筋で、欧米諸国ではもっぱら効果をあげていますが、日本では農薬として多量に使い過ぎて土壌の汚染や蓄積を起こしたため1971年には製造が禁止されてしまい、実際にγ-BHCを使った軟膏を作るためにγ-BHCを入手するには試薬のγ-BHCを使うしか方法が無いのが実情です。
ご覧いただきますコレクションは現在でも蚊取り線香や殺虫剤メーカーとして健在な金鳥、フマキラー、ライオンの作っていた1.5%のγ-BHCを含有する殺虫粉です。
『金鳥BHC』『BHCフマキラー』は缶をペコペコと押すと脇の穴から噴霧され、『ライオンBHC』は上部1/3のところを持って水鉄砲のようにスライドして押しますと底に開いている穴からγ-BHCが吹き出す仕組みです。
“多量に撒布した場合目が痛むことがあります。”と注意が書かれています。
( 参考文献 )
・薬価基準点数早見表
・新しい抗生物質の使い方 ライフ・サイエンス 横田 健
・抗生物質が効かない 集英社 平松 啓一
・都薬雑誌 Vol.17 No.10(1995)
・日薬雑誌 第49巻第12号 平成9年12月1日
・東京の虫図鑑 刺す虫 かむ虫 いやな虫 東京都
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