昔はこんな薬もありました 9
~ お歯黒 ~昔の変わった薬を取り上げたこのシリーズはすでに9回目を数えましたが、今回から改題をしまして、昔薬屋で扱っていた厳密には薬ではないいわゆる部外品的な品々を御紹介してゆきたいと思います。
今回とりあげますのは“お歯黒”です。
実は自分の骨董収集は、ずいぶん昔に日野の高幡不動尊の骨董市(;なんでもこざれ・・・の意味から“こざれ市”という名前がついています。)で“お歯黒”に出会ったことがキッカケではじまったもので、そんなことから“お歯黒”には特別な愛着を感じ
るのですが、当時“お歯黒”を見た時は遠い遠い昔にタイムスリップをしたような感覚にとらわれました。
“ 白い歯っていいな。ホワイト&ホワイト ”というコマーシャルがありますが、白い歯がすなわち健康という現代のイメージがありますが昔は違ってました。
“お歯黒”とは明治以前、何百年(起源は弥生時代、古墳時代にもさかのぼるようです。)にもわたって行われてきた風習、化粧法で、歯を真っ黒に染めて成人に達した女子のしるし、転じて嫁いだしるし、既婚の印としたもので、“お歯黒”をした女性は眉毛を剃る風習ともども実物はもちろん時代劇でもトンと見掛けなくなりました。(時代考証がメチャクチャ!)
“お歯黒”は別名“かねつけ”とも呼ばれ、当初は“はぐろめ”と呼ばれていたのが→“はくろみ”→“おはぐろ”と転じたようですが、文明開花の明治の御世(みよ)になって明治元年(1868年)には太政官布告により禁止、明治三年(1870年)には華族のお歯黒が禁止され、その3年後には皇太后(明治天皇のお后-おきさき-、孝明天皇妃)もやめています。
しかしながらチョンマゲと同じく長年の風習が一夜にして無くなる訳ではなく、明治の中頃になっても新聞に“お歯黒”の広告が掲載されていたとのことです。
“お歯黒”とは弥生や古墳時代には木の実などで染めていたようですが、平安時代になると鉄漿(かね)で染めるようになりました。
“お歯黒”の原理は釘を入れると黒豆をよく黒く煮ることが出来るのとほぼ同じ原理、つまり鉄媒によるタンニン染めです。
コレクションは市販されていた“お歯黒”ですが、自分で“お歯黒”を作る具体的な 方法は次のようなものです。
壺に入れたお茶の中に麹(こうじ)や粥(かゆ)、飴(あめ)、酒などを加え、その中に赤く熱した古釘や針などを入れ竈(へっつい:かまど)のそばなどの暗い場所に2~数ヵ月放置して熟成させます。こうしますと麹や粥、飴のなかの澱粉や糖分がアルコール醗酵し、さらにアルコールが酢酸醗酵して出来た酢酸と鉄が化学反応して酢酸第一鉄の液、つまりが鉄漿(かね)が出来ます。
次にウルシ科の植物のヌルデの葉に虫が寄生して出来た虫こぶの五倍子(ごばいし)を粉にしたものを用意します。五倍子(ごばいし)にはタンニンが多く含まれています。
そして“お歯黒”染めをするには鉄漿(かね)を小さな器で暖めて、羽楊枝に鉄漿(かね)と五倍子を付けて交互に何度でも歯に塗ってゆきます。〔鉄漿(かね)の成分の酢酸第一鉄が徐々に酢酸第二鉄に酸化し、五倍子(ごばいし)のタンニンと結合しタンニン酸第二鉄となり黒く発色するわけです。〕
“お歯黒”染めといっても実際には歯の表面の微細な凹凸に黒色のタンニン酸第二鉄が付着しているにすぎませんので、常に黒い状態を保つには二日に一度位は“お歯黒”直しをしたようです。
以上が“お歯黒”のやり方ですが、“お歯黒”には風習、化粧としての意味ばかりでなく虫歯予防の効果があることが近年解明されました。
つまり五倍子にはプラーク(歯垢)の形成を抑える作用があり、また五倍子のタンニンには歯質タンパクの腐敗防止にも効果的、鉄漿(かね)の酢酸第一鉄にはリン酸カルシウム(;歯や骨の基本成分であるカルシウムのリン酸塩の一つ。)を強化し歯を丈夫に保つ作用があります。
このような有意義な“お歯黒”ですので、コレクションにも多少の余裕があることから、ご希望のある女性は申し出ていただければ、五倍子も用意しますので試しに“お歯黒”染めに挑戦されてみてはいかがでしょうか?お申し込みをお待ちしております。
[付記]
この『かめぶし』は醫學大先生の発明にして第一口中に害なく染付早く瑠璃(るり)の艶を出し天下無二の良品なり。
故に操(みさお)正しき貞節(ていせつ)の御方は神の教を守り御使用アラン事を願う。”〈下線は筆者〉
・仁丹は、ナゼ苦い? ボランティア情報ネットワーク 町田 忍
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