ジェネリック(GE)篇(その10)
~ ジェネリック(GE)篇(その10) 「虫下し」 ~連載シリーズの第10回では“昔はこんな薬もありましたシリーズ(その3)”の1として虫下しチョコレートの『アンテルミンチョコ』をご紹介いたしました。
今回10回を迎えた“ジェネリック(GE)篇”は“こんな薬もありましたシリーズ”や“薬と歴史シリーズ”としてもよいのですが、昔はよく使われた『虫下し』です。
一部『アンテルミンチョコ』と文が重複しますがご了承下さい。
人糞を肥料にしていた時代、つまり有機肥料や殺虫剤、農薬が発達、普及していなかった戦前から昭和20~30年代頃には日本人全体では70~80%、特に学童のほとんど90%近くは寄生虫に冒されておりました。いわば結核と並んで代表的な「国民病」だったわけですが、よって学校ではなかば習慣的に検便が行われ、いわゆる“虫下し”を飲ますことが行われておりました。
当時の『虫下し』は石榴(ザクロ)皮、海人草(カイニンソウ)、マクリなど生薬やその成分が“虫下し”の主流でしたが、武田、藤沢、大正、住友化学、東京田辺はじめ多くの新薬メーカーも『駆虫剤』を販売していたものです。
その後、昭和も50年代(1975年~)頃からは化学肥料、殺虫剤の普及そして上下水道や水洗トイレなどの衛生環境の整備の結果、寄生虫の感染率は1%以下に激減しました。
『アンテルミンチョコ』の項でも触れましたが、顕微鏡が発明される前の細菌学がこの世に生まれていない時代、細菌やウイルスの存在そのものが概念に無かった昔には、諸々の病は体内の虫が悪さをする(;疳の虫など)ためと考えられおりました。
もちろん蛔虫、蟯虫、鞭虫などとは別物なのですが江戸時代から綿々と受け継がれた日本人の概念として虫(つまり寄生虫)を下せば丈夫になる・・・そんな考え方が感じられます。
そのせいか、一部の虫下しのパッケージにはどうみても蛔虫、蟯虫、鞭虫ではない昔のいわゆる虫(;顔や手のある虫)まで顕微鏡と並んで描かれているものがあります。
ではまず初めに江戸初期の”むしおさえ”の代表薬、(小児薬王)蒼龍丸の板看板(江戸本郷の山嵜文蔵翁が製造)と、明治初期のむしおさえの薬をご覧下さい。
10. 『虫下し』
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(裏) |
(表) |
(裏) |
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(縦136.6cm×横16.4cm) |
つづきまして、さまざまな”虫下し”をご覧下さい。多くの”虫下し”には顕微鏡が描かれ「科学」をイメージづけていますが、その一方、人面相のような顔や手足のある虫が描かれたパッケージの”虫下し”もあります。
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(ポスター 縦26.3cm×横15.1cm) |
(縦23.8cm×横18.6cm) |
最後に前記のように現在もある武田などの新薬メーカーが製造していた”駆除剤”もご覧ください。
もともとアメリカでは豚などの家畜用の駆除剤として使われていたらしく現代ならば薬害訴訟になっていたかもしれません。
最後に日本人と虫の関係については田中聡著「ハラノムシ、笑う」(河出書房新社)に詳しく書かれております。是非ご一読下さい。
(付記)
皮肉なことに近年家庭菜園と称して手作り野菜を(無機)自家栽培するなかで寄生虫に感染する症例もあるようで、また現代人にアレルギー体質が蔓延したのは寄生虫が減ったから…という説まであり、また結核も死語どころか、再びはびこりはじめており決して絶滅したわけではないようですのであらためて注意が必要と思われます。
( 本項参考文献 )
・田中 聡 著 ハラノムシ、笑う 河出書房新社
・藤田 紘一郎 著 体にいい寄生虫 ワニブックス 他多数
・西川 隆 著 「くすり」から見た日本 薬事日報社
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