ジェネリック(GE)篇(その9)
~ ジェネリック(GE)篇(その9) 「如神丸」 ~御昔(おんむかし)、薬箱の中身を尋ねればまずは風薬(風邪薬)、咳止め、熱冷まし。つぎに登場するは胃薬、はら薬、下痢を止め。そして三番手には痛み止め、頭病み、歯痛の薬。そのあと続くは疳の虫、気付けに、血の道振り出し薬。目薬、メンタム、赤チンにひび・あかぎれ・肩凝り膏薬・・・。
打って一丸となって病邪を攻め落とさん。
このシリーズの(その8)では「熊胆丸(ゆうたんがん)」を紹介いたしましたが、今回ご紹介するは配置売薬の世界では(今ふうに言えば)消化器官用薬つまりは胃薬、はら薬、下痢止めの領域において熊の胆(くまのい)と双璧をなす『はら薬(赤玉)』でございます。
明治9年(1876年)に設立された富山配置売薬の雄、廣貫堂の設立当初からの製剤に『如神丸』という黄連、黄柏、檳榔子(びんろうじ)、大黄などの11種類の生薬からなる整腸剤・止瀉剤・下痢止めがあります。
これは江戸期から綿々と受け継がれた『はら薬』の血統を引く製剤で、当時は朱砂(:辰砂。天然の赤色硫化水銀)によって赤くコーティングがされておりました。通称『赤玉』。
ところで赤=朱は第12回“疱瘡・痘瘡・天然痘そして種痘”の項でも触れましたが、古代より赤=朱は魔除け、病魔を追い払い病人に生命力をもたらす力があると考えられてきました。
以上によって『はら薬』=『如神丸』=『赤玉』という図式が出来上がりますが、さらに図案として『はら薬』によく登場するのが七福神メンバーの布袋様のような恰幅のよい神様です。
布袋様は実存した唐代の禅僧で、日本三大禅宗の一つ、黄檗山万福寺の僧隠元が江戸初期の1654年に我国に伝えた黄檗宗(おうばくしゅう)の本尊でもありますが、その容貌福々しく体躯は肥大でお腹を露出し、常に布嚢を担って喜捨(きしゃ:寄進、ほどこし)を求め歩いた弥勒菩薩の化身と言われた神様で、その円満の相、恰幅の良さは現代では皮下脂肪、体内脂肪の固まり成人病の象徴のように非難されそうですが、少なくとも胃腸虚弱体質には程遠く、縁起の良さもあって『はら薬』=『如神丸』=『赤玉』のパッケージに図案化されたもののようです。
では多くの『はら薬』=『如神丸』=『赤玉』をご覧下さい。
9. 『如神丸』
【 明治期の廣貫堂 ”如神丸” 】
( 本項参考文献 )
・山崎 光夫 日本の名薬 東洋経済新報社
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