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今は昔 売薬歴史シリーズ 5

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~ たこの吸い出し ~


前号に引き続き、今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝えるシリーズその伍、今回は前回に引き続き外用薬の たこの吸い出し を御紹介いたします。


(1)『吸出し青膏(一名 たこの吸い出し)』 = 〖吸出し青膏(一名 たこの吸い出し)〗

水銀軟膏
  • この『水銀軟膏』とやはり局方から削除されてしまった『ホウ酸軟膏』を製造していた有力メーカーが、今回御紹介する〖たこの吸い出し〗を製造している町田製薬です。
    〖たこの吸い出し〗正式名は〖吸出し青膏〗というのですが、〖たこの吸い出し〗の方が愛嬌もありはるかに大衆に浸透しています。 さてその誕生は大正2年(1913年)というなんと今から96年も昔のことになります。
    戦後発売されたペニシリン軟膏はじめ多くの抗生物質の軟膏が現在ではほとんど消滅してしまったことを考えますと、〖たこの吸い出し〗の長寿は驚異的なものがあります。
    なお我々薬の業界関係者では〖たこの吸い出し〗をさらに縮めて〖たこ吸い〗、地方では〖たこさん〗と呼んだりします。
  • 町田製薬の創業者の町田新之助翁は明治19年(1886年)に千葉県銚子市の漁師の家の7人兄弟の長男として生まれました。
    翁は明治薬学専門学校(現明治薬科大学)卒業後、大学時代の同僚の紹介で本所の開業外科医の書生として奉公しておりましたが、その日常のなかでオデキなどの腫れものの手術を観察するうちに、オデキをメスで切開するよりも吸い出した方が治りがよくオデキの傷跡が小さくてすむし、特に若い女性には切らずに治したい希望が多いことに気付きました。
    そしてなんとかオデキを切らずに治す薬を作りたいという願いから研究を開始、大正2年(1913年)には北区田端に製薬所に薬局を兼ねた「町田可陽堂」を開設、〖吸出し青膏(一名 たこの吸い出し)〗を発売するに到ったわけです。
  • この経緯はかつては外科手術により胃や十二指腸を切除することがあたりまえだった消化器性潰瘍の治療が、現在ではH2ブロッカーやPPI(プロトンポンプインヒビター)の発明により薬物を服用することで切らずに治す治療にとって代わられたことを彷彿とさせます。
    それは難しく言えば治療とは常に患者のQOL(生活の質)を考慮する必要があるということなのですが、つまりは町田新之助翁に病める者への慈愛の心が根本にあったのだと思われます。
  • 〖吸出し青膏(たこの吸い出し)〗の主成分は硫酸銅やサリチル酸です。 つまりサリチル酸が患部の皮膚を軟化させて硫酸銅が膿を吸い出すわけで、硫酸銅の色調が青いことから(青膏)との名前がつき、また根が残ると幾度も再発を繰り返すおできに対して、吸い付いたら離れない“たこ”のように膿を吸い出し、おできの根までも完全に排除するので(たこの吸い出し)との愛嬌のあるかつユニークな名前がついたのです。
    その他の成分もほとんど発売当初と変っていません。この組み合わせの有効性が歴史のなかで証明されてきたということでしょう。
  • その後大正12年(1923年)の関東大震災では大きな痛手を受けましたが移転なども実施、会社一丸となって窮地を克服し昭和20年(1945年)頃からは全国に展開、各地の薬局でも販売されるようになりました。
    昭和28年頃には年間販売個数がなんと100万個を越し、昭和38年(1963年)には248万個の販売を記録したということです。
  • 現在では皮膚疾患というと衛生環境の改善などの影響もあって、オデキに総称される化膿性疾患(よう・ちょう・よこねなど)は減少し、アトピーなどのアレルギー疾患が増加してきているため、それに伴って本剤の生産量も30万個程度に減少ているようですが、オデキがこの世から無くなることはなく、しかも現代人は昔の人以上に治療後の皮膚の美容状態(きず痕や瘢痕)に気を使うようになっており、これらの点からも本剤〖吸出し青膏(たこの吸い出し)〗の必要性・価値は一層高まっていると思われます。
    なお町田製薬は〖吸出し青膏(たこの吸い出し)〗やかつての『水銀軟膏』『ホウ酸軟膏』などで培ったの軟膏製造技術を生かして、尿素配合の新製品軟膏「ユリア軟膏」を製品化しています。

  • では〖吸出し青膏(たこの吸い出し)〗コレクションをご覧下さい。
高級感の感じられる金属容器入りの〖吸出し青膏(たこの吸い出し)〗

製造所住所が大井町となっているところから同社が大井金子町に移転した大正15年(昭和元年)(1926年)から渋谷区笹塚に移転した昭和12年(1937年)までの製品と思われます。定価20銭。

吸出し青膏(たこの吸い出し)

貝容器入りの〖吸出し青膏(たこの吸い出し)〗

一見しますと上記の製品よりも古い製品かと思われますが製造所住所が渋谷区笹塚とあることから昭和12年(1937年)以降の戦前の製品と推測されます。 貝殻容器が使われたのは戦争中~戦後にかけての物資不足のためと想像されますが、昭和30年頃までは木更津の蛤漁師より貝殻を取り寄せて使用していたとのことです。
定価は判読不明ですが20銭と思われます。添付文書もご覧下さい。

吸出し青膏(たこの吸い出し)

〖吸出し青膏(たこの吸い出し)金属容器〗

左より書かれていることから戦後の物資が豊かになった、しかも現在のようなプラスチック容器の使われる前の時代の製品と推定されます。

吸出し青膏(たこの吸い出し)

現代の〖吸出し青膏(たこの吸い出し)〗
吸出し青膏(たこの吸い出し)

〔おまけ〕

①おもちゃ ②薬局経営日記より『吸出し青膏(たこの吸い出し)』
たこの吸い出しおもちゃ

薬局経営日記




〔参考文献〕
・日本の伝統薬     宗田 一    主婦の友社
・名薬探訪       加藤 三千尋  同時代社
・インターネット    伝統薬ロングセラー物語
             gendai.net

〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局  荻野 祥子 先生


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