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今は昔 売薬歴史シリーズ 11

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~ 養命酒 ~


今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝える伝統薬シリーズ11回目、今回は伝統薬用酒の『養命酒』を御紹介いたします。


◎『蝮酒 養命酒』 = 〖薬用 養命酒〗

  • 明治以前から続いている伝統薬には伝説がつきもののですが、この『養命酒』の起源はなんと400年ほど前の慶長年間、安土桃山時代にまでさかのぼるとのことです。
    それによりますと信州伊那谷に源平の頃から続く塩沢家に慶長の初めの頃のある冬の夜、行き倒れの旅の老人が担ぎ込まれました。 当時の当主宗閑の手厚い介抱により命をとりとめた老人はその後食客として三年間逗留、この地を去るにあたって薬酒製造の秘法を宗閑に伝授したとのことです。
    この老人は本草学者だったようですが、宗閑は薬草や蝮を採り試行錯誤、研究を重ねた結果、関ヶ原の戦いの翌々年の慶長7年(1602年)にはついに薬酒を完成させたとのことです。

  • 「信濃風土記」には徳川家康が江戸に幕府を開いた際には伊那から『養命酒』を献上したことや、赤穂浪士が仇討ちに備えて江戸に潜伏中には『養命酒』で鋭気を養ったという史実が記載されているとのことです。 また幕府からは“天下御免万病養命酒”と評価を受け神通力を象徴する“飛龍”の図を用いることを許されたとのことです。

  • 当時の『養命酒』はかなりの高貴薬だったようで、消費は一部に限られそれは明治以降も続きましたが、やっと昭和に入って当時の台湾、朝鮮、満州などへの進出とともに国内でも愛飲者が増えました。 そして戦後の25年頃からは漢方薬ブームやワインの普及とともに生産は伸び戦前の10倍にも達し現在では世界十数か国にも輸出されているとのことです。

  • 現在も〖養命酒〗には薬系と食品系の二つの販売ルートがあり、中身は同じですが薬局などで扱う薬系ルートの商品には薬用の文字が入っており、食品系のそれには薬用の文字は入っていません。
    またコレクションの『養命酒』には蝮酒の文字が冠されており昔は蝮酒ということを強調していたようです。

  • では『蝮酒 養命酒』コレクションをご覧下さい。

《各種 『蝮酒 養命酒』》
 :いずれも戦前のものですが、容器の形状が2種類あり、中身の残っているものもあります。
『蝮酒 養命酒』

『蝮酒 養命酒』

『蝮酒 養命酒』

『養命酒』サンプル
≪サンプル≫
『養命酒』食品系
≪食品系≫
『養命酒』薬系
≪薬系≫

『養命酒』ポスター
≪『養命酒』ポスター≫
『養命酒』チラシ×2種
≪『養命酒』チラシ×2種≫

『養命酒』包装紙×2種
≪『養命酒』包装紙×2種≫

婦人倶樂部附録『養命酒』広告
≪婦人倶樂部附録『養命酒』広告 昭和11年2月≫
『養命酒』ホーロー看板
≪『養命酒』ホーロー看板≫

『養命酒』景品マッチ
≪『養命酒』景品マッチ≫
『養命酒』景品鉛筆
≪『養命酒』景品鉛筆≫

『養命酒』広告
『養命酒のご案内と資料』表紙
≪『養命酒のご案内と資料』表紙≫

『養命酒の種類』



〔参考文献〕
・インターネット  ウィキペディア(Wikipedia)

〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局  荻野 祥子 先生


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