今は昔 売薬歴史シリーズ 15
~ 毒掃丸 ~今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝える伝統薬シリーズ、今回は『毒掃丸』を御紹介いたします。
◎『毒掃丸』 = 〖毒掃丸〗
- 数多くの伝統薬を現代風に分類しますと、たとえば「命の母」「実母散」「中将湯」などの婦人薬、「宇津救命丸」「樋屋奇慶丸」などの小児薬、「六神丸」「救心」などの心臓薬、「太田胃散」「ホシ胃腸薬」などの胃腸薬などに味気無く分類されますが、便秘薬というグループに分類される伝統薬の一群もあります。
- このグループにはすでにご紹介しました「七ふく」や「健のう丸」などがあてはまりますが、今回ご紹介の『毒掃丸』も現代風には便秘薬という範疇に入る伝統薬です。
しかしながらすでに何度か触れて来ましたようにいずれの伝統薬も少なくともその誕生にあたっては便秘薬とか、胃腸薬とかの単純な分類で片付けられないプラスαの効き目を目指して作られた経緯があり、また現実にプラスαの効き目が得られるものであります。 - 今回ご紹介の『毒掃丸』は種々の文献を調べましても(江戸期~明治期の)いつ頃に作り出された薬(処方)なのか確定的なことは判りませんが、創業者の山崎嘉太郎翁が東京神田に売薬化粧品商「山崎帝國堂薬房」を開業したのが明治21年(1888年)のことで、また全国展開を始めたのが明治30年(1897年)ですから、『毒掃丸』は100年以上の歴史のある伝統薬ということになります。
- 『毒掃丸』という名前は体内の毒を掃除して一掃する薬という意味ですが、明治28年(1895年)当時の『毒掃丸』の新聞広告には“ばい毒病撲滅時期来たる 俊効偉大最新薬発見せり”と書かれています。
このキャッチフレーズには“ばい毒”という言葉がありますが、この“ばい毒”はいわゆる“梅毒”のことではありません。
話は飛びますが、江戸時代に日本の漢方の一大流派・古方派を作った漢方家に吉益東洞という漢方医がおりました。 その唱えた病理説に“万病一毒説”があり、つきつめるところあらゆる病は体内に生じた毒が原因で、この毒を下剤などで駆逐、毒を去れば病も去るという理論です。
現代的にこの毒とは活性酸素のことであるいうような説を唱えている御仁もおられますが、思うところ『毒掃丸』の毒、“ばい毒”の毒は吉益東洞の言うところの“一毒”の毒の概念に近いものに一脈通じるようなものを感じます。 - また話は飛びますが、同社の社名は現在でも創業時と同じ「山崎帝國堂」です。 “帝國”ですがもちろん大日本帝國の帝國なのですが、現代でも京王帝都電鉄とか帝都無線とか、帝国石油、帝国秘密探偵社など帝や帝国を名乗っている会社は他にもありますが、軍国趣味とかではなく、しかも帝国でなく帝國という旧字体を使っている点も含めて堅くなに伝統を守る姿勢が感じられ、前記の“毒”と相俟って「山崎帝國堂」の『毒掃丸』とはバリバリの『伝統薬』という雰囲気が感じられる薬です。
- 明治、大正、戦前の昭和にかけての『毒掃丸』もしくは『腹内毒掃丸』ではまさに毒を対象にした“ばい毒、そう毒、しつ毒、りん毒、たい毒などを撲滅するという効能が唱われていましたが、昭和20年代からはこのような効能は改められ結果的に現代の他の便秘薬に類似の“便秘・便秘に伴う次の諸症状の緩和:吹出物、肌あれ、食欲不振(食欲減退)、腹部膨満、腸内異常醗酵、痔、のぼせ、頭重。”などになりました。
それとともに商品名も『複方毒掃丸』へとなっていったようです。
- では『毒掃丸』コレクションをご覧下さい。
(1)の簡単な包装の『毒掃丸』には“どくそうじぐわん”とのふりがなが書かれており、また“ばい毒 そう毒 しつ毒 撲滅新藥”と書き添えられており初期の製品と推定されます。
(2)(3)はほぼ同時代の『複方毒掃丸』の袋入りと箱入りのコレクションです。 住所がいずれも東京都となっているので昭和18年以降と推測されます。 また価格が袋入りは4日半分金五拾銭、箱入りが拾日分金壱圓となっていることから昭和18年から終戦の昭和20年頃にかけての製品かと推測されます。
効能は“瘡毒、ひえ、梅毒瘡、たい毒、痔疾、梅毒性頭瘡、るいれき、便秘、常習性便秘、逆上、ふしぶしの痛み、腰痛”などです。 なお箱入りの裏面には(花柳病賣藥)と書かれています。
(4)の箱入り『複方毒掃丸』は裏面に(公)との記載があり住所は東京都ですので、昭和18年以降の終戦後の物価統制令の時代にかけての製品と推定されます。 価格は7日分で29圓と書かれています。 効能は“瘡毒、たい毒、痔疾、梅毒性頭瘡、便秘、ふしぶしの痛み、腰痛”などです。
(5)の『小児毒掃丸』は戦前の子供用に作られた『毒掃丸』で珍品です。
(2)(3)はほぼ同時代の『複方毒掃丸』の袋入りと箱入りのコレクションです。 住所がいずれも東京都となっているので昭和18年以降と推測されます。 また価格が袋入りは4日半分金五拾銭、箱入りが拾日分金壱圓となっていることから昭和18年から終戦の昭和20年頃にかけての製品かと推測されます。
効能は“瘡毒、ひえ、梅毒瘡、たい毒、痔疾、梅毒性頭瘡、るいれき、便秘、常習性便秘、逆上、ふしぶしの痛み、腰痛”などです。 なお箱入りの裏面には(花柳病賣藥)と書かれています。
(4)の箱入り『複方毒掃丸』は裏面に(公)との記載があり住所は東京都ですので、昭和18年以降の終戦後の物価統制令の時代にかけての製品と推定されます。 価格は7日分で29圓と書かれています。 効能は“瘡毒、たい毒、痔疾、梅毒性頭瘡、便秘、ふしぶしの痛み、腰痛”などです。
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これらの『毒掃丸』『複方毒掃丸』には猛虎と勾玉が描かれています。 勾玉には“猛虎一声掃萬毒”の文言が書かれています。 |
(5)の『小児毒掃丸』は戦前の子供用に作られた『毒掃丸』で珍品です。
効能は子供用ということで“小児たい毒、小児ひゑ下し、頭瘡、面瘡、先天梅毒、胎毒性腫物、胎毒性発疹・・・”などです。 価格は550粒で金50銭ですが、大人用の『毒掃丸』より粒が細かいようです。 この『小児毒掃丸』にはいかにも小児用らしく猛虎ではなく張り子の虎に跨がった子供が描かれています。 |
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(6)木製看板 |
(7)昭和12年チラシ |
(8)「山崎帝國堂」店舗写真 |
(9)現代の製品 |
(10)「太郎飴」関連資料 :同社が明治時代に販売していた滋養飴です。 |
〔参考文献〕
・(株)山崎帝国堂HP
・インターネット伝統薬ロングセラー物語
・日本の伝統薬 宗田 一 主婦の友社
〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局 荻野 祥子 先生
・インターネット伝統薬ロングセラー物語
・日本の伝統薬 宗田 一 主婦の友社
〔現代の製品提供〕
・昭島市 十字堂薬局 荻野 祥子 先生
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