今は昔 売薬歴史シリーズ 22
~ レスタミンコーワ・スマイル・ボラギノール ~今も根強く人気の続く伝統薬の“今と昔の姿とその良さ”を伝える伝統薬シリーズ。
前号につづき、伝統薬と言うには少し若い、でも昔はこんなだったんだ…という薬をまとめて御紹介いたします。
『レスタミン コーワ錠』 = 〖レスタミンコーワ糖衣錠〗
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前号と同じ“興和”の製品で『レスタミン コーワ錠』は製造元が“興服産業株式会社”で昭和20年代の商品ではと推定されます。
現代の〖レスタミン コーワ糖衣錠〗の主成分は塩酸ジフェンヒドラミンですが、『レスタミン コーワ錠』の効能書にはその構造式と化学名 β-dimethylaminoethyl benzhydrylether が書かれており、なんと沸点が154~157℃でありエーテル・ベンゾール等の有機性溶媒によく溶解することまで書かれています。
そしてその臨床効果として、“殆どすべて”のアレルギー性疾患に効果があり、通常本剤投降與後10~30分で効果があらわれ5~6時間繼續する。”と書かれています。
『レスタミン コーワ錠』 『レスタミン コーワ糖衣錠』
『スマイル』 = 〖スマイルA〗
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ライオン(株式会社)というと歯磨、石鹸、洗剤などの家庭用品の大手グループ企業で花王とはライバル関係にあります。
そのスタートは明治24年(1891年)に小林富次郎翁によって化粧石鹸、洗濯用石鹸を扱う小林富次郎商店が開設されたのが始まりで、明治29年(1896年)に発売の「獅子印ライオン歯磨」がヒット商品となったことから現在に至るまで社名と企業キャラクターはライオンとなっています。
一方同社は医薬品部門事業も活発で、解熱鎮痛剤の「バファリン」や下痢止めの「ストッパ」はじめ本項ご紹介のアイケア商品の〖スマイルA〗などの医薬品も扱っています。
なお三菱鉛筆が三菱自動車と無関係のように、ライオン事務器やライオン菓子とライオン株式会社は関係がありません。
本項でご紹介の『スマイル』は以前目薬の歴史で御紹介したこともある製品で、日中戦争~太平洋戦争のさなか物資不足のおりガラスやゴムなどの資源節約の目的から開発された滴下容器に入った価格25銭の戦前の商品で、玉置製薬株式会社が製造していました。
関連の資料として昭和11年(1936年)当時のサービスセールのチラシがありますが、昭和12年(1937年)の大阪朝日新聞には統剣突撃兵士を図案化した『スマイル』の広告が掲載されています。 “スマイル”の意味からするとチグハグな感じもしますが、サービスセールのチラシに白人女性の写真が使われていることなど日米開戦前の当時の時代考証の点からも面白い資料と言えます。 そして、明確な資料が無いのですが、その後戦後には『スマイル』の製造販売権はライオン株式会社に譲渡されたようです。
『スマイル』 〖スマイルA〗
『ボラギノール坐薬』 = 〖ボラギノールA坐剤〗
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日本の製薬企業ではNo1の武田薬品工業の詳細や関連のコレクションについては後日項を改めて御紹介させていただきたいと思いますが、今回は“今は昔 売薬歴史シリーズ 今も根強く人気の続く伝統薬”ということで同社の『ボラギノール坐薬』を取り上げてみます。
武田薬品工業のスタートは大和國から大坂道修町に出てきた長兵衛が1781年(天明元年)にのれん分によって薬種問屋を独立開業したのが始まりで、四代目からは武田姓を名乗り、大正に入って五代目武田長兵衛が14年(1925年)に「株式会社武田長兵衛商店」を設立し法人となりました。
今回取り上げた『ボラギノール坐薬』の発売は大正14年(1925年)の「株式会社武田長兵衛商店」の設立よりも古く今から約90年前の大正10年(1921年)のことでした。
コレクションの銀紙に包まれ箱に入ったいかにも高価な感じのする『ボラギノール坐薬』は発売元が「株式会社武田長兵衛商店」となっていることから大正14年(1925年)以降の製品ですが、「株式会社武田長兵衛商店」は昭和18年(1943年)に「武田薬品工業株式会社」に商号変更となってることから、それまでの18年間の間に製造された製品と推定されます。 なお製造元は天藤薬化學研究所となっております。
現在も薬価に収載されています「ボラギノールN坐薬」は成分に漢方の軟膏の紫雲膏の主成分の紫根(シコン)のエキスを含んでいますが、この『ボラギノール坐薬』も同様の植物成分を含有しているようです。
一方現代の〖ボラギノールA坐剤〗には紫根(シコン)成分は含まれておらず、また痔の外用薬も現在では坐薬(坐剤)から浣腸タイプの軟膏製剤が主流となっておりこの点からも時代の流れを感じさせるコレクションの一つといえます。
『ボラギノール坐薬』 〖ボラギノールA坐剤〗
『ハイシー/ハイシーA/ハイシー顆粒』 = 〖ハイシー1000細粒〗
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『ボラギノール』と同じ武田の製品の『ハイシー』です。
比較的最近の薬のように思えますが、その発売は昭和36年(1961年)ですから50年も昔、半世紀もまえに発売された薬でその年は武田が創業の1781年(天明元年)から180周年を迎えた年でもありました。
その7年前の昭和29年(1954年)にはアリナミンを、翌年の昭和30年(1955年)にはベンザを発売していますから、この時期は戦後の高度成長とともに売薬産業、町(街)の薬局・薬店も最盛期を迎えつつある時期だったと言えます。
『ハイシー』は直径20mmものタブレットのため一気に飲み下すことは無理で、口中で飴のように舐めて溶かすか、かみ砕いて服用するのですが、わずか15錠のハイシー(:原価はいくら位でしょうか?)がアルミ製の円筒ケースに入っているという、この贅沢さを見ても上り坂の3年後に東京オリンピックを迎えることになる成長期の日本を感じさせる象徴的な薬だと言えます。
『ハイシー』 『ハイシー顆粒』 『ハイシーA』 〖ハイシー1000細粒〗
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