置き薬・くすり屋のおまけ・景品シリーズ 16
~ 売薬版画・富山絵・おまけ絵 ~- このシリーズの5回目ではその昔置き薬屋さんがお得意先に置いていった売薬版画を取り上げました。
その時の説明にあるように“売薬版画”の始まりは江戸時代後期にさかのぼります。
そして薬屋さんの配るお土産の条件「(持ち運びに)軽いもの」「宣伝効果のあるもの(を書いてある)」「縁起の良いもの(のデザイン)」などを満たすグッズの一つとして“紙風船”とともに“売薬版画”は多用されました。
今回は5回目に引き続きその後に収蔵しました“売薬版画・富山絵・おまけ絵”を御紹介したいと思います。
(1)桃太郎の図柄のようですが、雉がいません。
(2)牛若丸の図柄です。
(3)若い浦島太郎です。
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(4)平将門ヲ誅ス俵藤太。俵藤太とは平安中期の東国の武将藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の俗称で平将門の乱を平定した。
(5)山中鹿之助。山中鹿之助とは主家尼子氏の再興に一生を捧げた比類なき忠誠心を持つ戦国時代の武将で“願わくば我に
艱難辛苦を与えたまえ”の言葉が有名。
(6)鍾馗様の図柄で、かぜの神、熱病の神を追い払っています。
(7)美人と、やまと立田川のもみじ。
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(8)売薬シベリヤの商標に使われた初代陸軍軍医総監松本順先生と加藤清正公虎ヲ刺スの図柄。
(9)城と水平、鯛を釣る。
(10)恵比須、大黒と子供。
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(11)美人。(6)と並んで最も綺麗な状態。
(12)〔明治41年(1908年)製〕:源平の時代(保元)平治の乱の頃の図柄。
(13)梶原源太、生田森に奮戦之図の図柄。梶原源太とは梶原景季(かじわらかげすえ)の別名で平安末期から鎌倉時代の
東国武将で源頼朝の有力御家人。生田森は生田神社にある史跡。
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(14)源平の時代の頃の図柄。
(15)金のなる木。慈悲深き、正直、いさぎよき、養生よき、辛抱強きなどの枝に小判の葉っぱが生えています。
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(16)明治時代の大店の図柄。
(17)明治時代のパレードの図柄。
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