ジェネリック(GE)篇(その5)
~ ジェネリック(GE)篇(その5) 「宇津救命丸」「樋屋奇応丸」 ~今回は「メンソレータム」「ケロリン」「仁丹」「トクホン」&「サロンパス」に続いて『宇津救命丸』と各種の『救命丸』を御紹介いたします。
5. 『宇津救命丸』
- これまでご紹介の「メンソレータム」~「サロンパス」は明治以降の登録商標が制度化されて以降に発売された薬です。よってこれらに類似した薬はジェネリック(GE)の範疇に入ると断言してもよいかと思いますが、今回紹介の『宇津救命丸』『○○救命丸』は始まりが江戸期のため類似薬というより一般名化した大衆薬とも言えそうです。
各種『救命丸』のを代表する元祖 『宇津救命丸』 の由来については都薬雑誌の“我が社の伝統薬その壱”(Vol.25 No.7 2003年)に詳しいので参考にしていただきたいと思いますが、しいて要点を挙げさせていただきますと次のような点があります。
*もともとは旅の僧侶が伝えた処方で、ある意味ではNo.6、No.7で紹介しました宗教がらみの薬とも言えます。
*現在では宇津権右衛門、宇津家伝来という意味で『宇津救命丸』と称しますが、かつては『金匱救命丸』と称しました。傷寒論と並ぶ漢方の聖典に金匱要略という書物がありますが、金匱とは金箔を押した書箱に入れて保管するような高貴な、貴重な書物という意味で、『金匱救命丸』もそのような貴重な薬という意味があります。
*現在では『宇津救命丸』『○○救命丸』は小児専門薬として用いられていますが、かつては大人向けの救急薬として使われていたもので、特に道中薬として旅籠などでも売られ、印籠に入れて持ち歩いていました。〔;たぶん水戸黄門様の印籠の中にも『救命丸』が入っていたと推定され、道端で急の差込(さしこみ・腹痛)に苦しむお女中を印籠の中から薬を取り出し介抱する…。大体その時財布をすられる…。〕
明治40年(1907年)以前の包装景品の笛 ↑この他にもさまざまな景品がありますが
後日、薬局のおまけコーナーででまとめて
ご紹介します。
- 江戸期の『金匱救命丸』のチラシです。道中薬として使われ、旅籠などでも売られていたことが判ります。
都薬雑誌には“毎年救命丸を献上していた領主徳川一ツ橋家を通じ、参勤交代の諸大名に救命丸の評判が伝わり・・(略) ”と書かれていますが、このチラシの欄外には江戸旅宿の一つの、神田旅籠町の一橋(家)御用(達の)宿(の上州屋市左衛門)で売っている旨の事が書いてあり、宇津氏、救命丸と徳川御三家の一つの一ツ橋家とが繋がりが深いことが窺い知れます。
- 『宇津救命丸』団扇。明治~大正期のものと思われます。立派なものです。
団扇のサンプル
- 『金匱救命丸』『宇津救命丸』看板。
- 関東では小児救急薬というと『宇津救命丸』ですが、関西では 『樋屋奇應丸』 の方が根強く普及しているようです。(関ヶ原が境目らしい。)それは発祥の地に由来しているようで関東では「トクホン」、関西では「サロンパス」が良く売れ、黄柏エキス製剤が東は「百草」と西は「陀羅尼助」と呼ばれるのと一脈通じるものがあります。
そして『樋屋奇應丸』も『宇津救命丸』のように江戸期から伝わる宗教的な(;唐の鑑真が伝えたともいわれている。)伝統薬で、『宇津救命丸』同様多くの『○○奇應丸』があります。
- 配置売薬には“風邪薬”と“はら薬”と“小児薬”は欠かせません。よって『救命丸』『奇應丸』以外にも多くの“小児薬”がありました。『奇應救命丸』のような両者をくっつけたような安易な名前の小児薬もありますが、その他の“小児薬”もあわせてご覧下さい。
『一角丸』『奇効丸』『人参龍虎圓』『小児感應丸』『金太郎丸』・・・・。
[付録1]
[付録2]
[付録3]
( 本項参考文献 )
・山崎光夫著 日本の名薬 東洋経済新報社
・鈴木 昶 伝統薬の事典 東京堂出版
・加藤三千尋 名薬探訪 同時代社
・宗田 一 日本の伝統薬 主婦の友社
・都薬雑誌 我が社の伝統薬 宇津救命丸 Vol.25No.7(2003)
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