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ジェネリック(GE)篇(その6)

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~ ジェネリック(GE)篇(その6) 「實母散」 ~


以前この篇で登場しました「宇津救命丸」とおなじく都薬雑誌の“我が社の伝統薬シリーズ その十一”では『喜谷實母散』が取り上げられています。そこで今回はコレクションの中から『實母散』を御紹介したいと思います。

都薬雑誌では『實母散』のうち『喜谷實母散』が登場していますが、15年程前には『實母散』を名乗る婦人薬は配置売薬まで含めると53銘柄もあったとのこと。「救命丸」もこの『實母散』も最近作られた造語であるゾロとしてとらえるよりはあまりにも古くから広く深く庶民に親しまれてきたゆえ、長い間に似た仲間が増えてしまった薬達といえます。
さて江戸の川柳で“中橋に嘘の実母も二三人”と読まれているように日本橋~京橋あたりには本家、元祖を名乗る『○○實母散』が数軒あったようですが、古文書で由緒正しい生まれのはっきりした『實母散』は『喜谷實母散』と『千葉實母散』であると言われています。
創業正徳3年(1713年)という『喜谷實母散』の由来は都薬雑誌に詳しく書かれておりますが、千葉の『實母散』の方も負けず劣らず古い話が伝えられています。
文治元年(1186年)、今の千葉県の名の由来である源頼朝の四天王の一人の千葉常胤が領地の検見川で網打ちをしていると砂金で作られた1寸8分の十一面観音様が網にかかりました。(浅草の浅草神社、浅草寺の伝説と似ている。)
のち時が流れて文明2年(1470年)、当主の勘兵衛の嫁が産前産後の不調のため人事不省におちいった時、勘兵衛が夢枕に観音様が立ち17種の薬草を煎じて21日間服用するように伝えたとの事。すると霊験あらたかに勘兵衛の嫁は回復、これを始まりとして『千葉實母散』が広まったとの話であります。

まずはこれら由緒正しき『喜谷實母散』と『千葉實母散』のコレクションからご覧下さい。



6. 『喜谷實母散』『千葉實母散』

  • 一貼官許『喜谷實母散』。
    ;一貼官許『喜谷實母散』には印紙が貼ってあることから明治15年(1882年)~大正15年(1926年)の間の製品。値段は壹貼四銭五厘(裏面参照)

    (表) 喜谷實母散 (裏) 喜谷實母散 *『喜谷實母散』看板

    『喜谷實母散』看板

    *明治38年(1905年)改版の『喜谷實母散』のパッケージ。
    値段は壹貼七銭。
    *英語と中国語で効能の書かれた『喜谷實母散』。3日分で五十銭。
    喜谷實母散 喜谷實母散

    *都薬雑誌で紹介の江戸期の『喜谷實母散』の効能書と同じもの。
    『喜谷實母散』効能書 『喜谷實母散』効能書
    *明治11年(1878年)改版の『喜谷實母散』の効能書。→

    *『喜谷實母散』賣藥請賣願
    ;明治18年(1885年)のもの。賣藥請賣願とは賣藥營業人=製薬メーカー○○が賣藥請賣人=卸=問屋=ディーラー◎◎に取次ぎ販売してよろしいですか?許可、鑑札を免許下さい。との申請書類です。
    賣藥營業人の喜谷市郎右衛門さんも賣藥請賣人の並木喜兵衛さんも平民です。
    明治16年(1883年)の製造許可の官許公文書の写しが添付されています。
    『喜谷實母散』賣藥請賣願 實母散賣捌規則
    實母散賣捌規則

    (1)開くと桃太郎が飛び出します。 (2)メモ帳
    喜谷實母散 喜谷實母散
    (3)なにに使ったのか良く判らない栞。
    (表) 喜谷實母散 (裏)


    *『千葉實母散』と看板
    ;眞正總本家實母散の『千葉實母散』は赤い字で實母散と書いたところがポイントで、いずれのパッケージにも裏面にはなんと徳川家康公の筆によります慶長2年(1597年)作の板看板が描かれております。袋パッケージの『千葉實母散』は大日本帝國實母散總本家のなんと第33世の千葉三郎氏が製造したものです。3日分で五十銭。
    千葉實母散 千葉實母散
    *『千葉實母散』看板 →
    ;江戸中橋とあり江戸期のもの。


[付録]

  • 〈補遺その1〉
    最後の漢方医と言われた浅田宗伯翁の書かれた“勿語藥室 方函口訣”では女神散(ツムラでいえばNo.67)の項で次のように述べています。「この処方は元は安栄湯と名づけて軍中(戦線)にて七気(神経症・ストレス)に用いた処方である。一方余の家(浅田家)では婦人の血の道に用いて特験があるので女神散と名付けて用いているが、世の中で實母散とか、婦王湯とか清心湯とかいうものは皆この類いである。」

    方函口訣
  • 〈補遺その2〉
    實母散 『實母散』は昔は真綿に包んであったり、今はティーバックに入った刻んだ生薬を煎じたり、振りだしたりして服用する製剤、湯剤ですが、名前は『散』です。以前紹介したことのある仁丹が丹剤ではなく丸剤であるように、實母湯より實母散の方が発音のゴロが良いため『實母散』と名付けたようです。
    (實母湯という製品もありますが・・・・・)江戸の川柳に曰く“良薬は耳で飲ませる實母散”。

    では次に配置売薬はじめ数多くの『實母散』をご覧下さい。
    *菊の御紋の入った江戸期の『實母散』。
    ;江戸時代には権威づけの目的から菊の御紋を看板や薬袋に印刷することがありました。

    實母散
    實母散
    實母散
    實母散
    實母散
    實母散
    實母散



  • 最後に『實母散』的なパッケージの婦人薬、血の道薬をご覧下さい。
    これら以外の婦人薬、血の道薬は後日改めてご紹介します。

    婦人薬、血の道薬
    婦人薬、血の道薬
    婦人薬、血の道薬



( 本項参考文献 )
 ・鈴木 昶  伝統薬の事典     東京堂出版
 ・鈴木 昶  江戸の妙薬      岩崎美術社
 ・山崎光夫著 日本の名薬      東洋経済新報社
 ・加藤三千尋 名薬探訪       同時代社
 ・浅田宗伯  勿語藥室 方函口訣


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