薬と歴史シリーズ 13
~ 目薬の変遷 4 ~=目薬(めぐすり)の変遷=
このシリーズでは昔の薬局、薬屋で扱っていた品々を取り上げていますが、今回は身近な薬、目薬(めぐすり)の変遷をたどってみたいと思います。
(4)明治維新、文明開化以降の売薬目薬
〈そのIII〉『精錡水』よりやや下った時代の目薬。『大學目薬』たち。
- 先に目薬の変遷をたどりますと点眼をするための容器・器具の変遷をたどることになりますと書きましたが、この項ではガラス管を用いて点眼する方式およびその改良した点眼方式をとる『精錡水』の後に
続いた同時代の目薬を御紹介いたします。
単純なガラス管を指にて開閉して滴下する方式の目薬としてはコレクションに『偉効水』や『健明水』『ゼルマン目薬』『明治水』などがあり『電気目薬』(;電気とは当時の文明の最先端技術の象徴。)などもガラス管にて点眼するものです。
- そして単純なガラス管の改良点眼器具として取り上げなければならないのは明治30年(1897年)に発売された『大學目薬』です。
『大學目薬』の処方内容は帝国医科大学付属病院の汎用処方を参考に硫酸亜鉛、硼酸(ホウ酸)等からなりますが、『大學目薬』は販売にあたって『精錡水』がヘボン博士(ヘップバーン博士)を全面に押し出したように、当時ドイツより招聘され東大医学部にて教鞭・診察にあった大家のベルツ博士(:化粧水のベルツ水を処方し一般に広めたので一般の方々もベルツの名はご存じかと思います。)を取り上げ、その肖像のイメージを図案化した商標で売り出しました。
- そして注目したいのは、その点眼器具です。サーベルのようにバネの付いた先端に脱脂綿の巻いてあるガラス棒がスライドするガラス管にて点眼するものですが、文字で書いても何を言っているのが判らないと思いますので、実物をご覧下さい。
衛生的かどうかはともかく、よく考えられたものだと感心しますが、外国の物まねでないとしたら日本人の知恵と器用さを改めて再認識する次第です。
【『大學目薬』】
【『大學目薬』看板】
- また現在もある『ロート目薬』はガラス棒上端にリングが付いておりそれに指を引っ掛けて薬液を吸い上げるものです。
- 本項でご紹介の『大學目薬』『ロート目薬』はじめ『明治水』『電気目薬』はどれもガラス瓶の四辺の一角がガラス管が収まるように凹んでいます。
当時の眼薬と解毒剤のポスター
「当時点眼薬とともに併用することを推奨されていた
目洗い薬。錠剤を熱湯で溶解して洗眼する。」
目洗い薬。錠剤を熱湯で溶解して洗眼する。」
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