薬と歴史シリーズ 15
~ 目薬の変遷 6 ~=目薬(めぐすり)の変遷=
このシリーズでは昔の薬局、薬屋で扱っていた品々を取り上げていますが、今回は身近な薬、目薬(めぐすり)の変遷をたどってみたいと思います。
(4)明治維新、文明開化以降の売薬目薬
〈そのV〉スポイトで滴下するタイプの目薬たち
- 〈そのIV〉のポンと叩いて滴下するタイプの目薬ではキャップにゴムが使われていますが、〈そのV〉ではゴムのついたスポイトで薬液を吸い上げて滴下するタイプの目薬を紹介します。
- このタイプのコレクションでぜひ取り上げたい目薬に『アドラ』があります。
【目薬 アドラ】 |
【目薬 アドラ 琺瑯看板】 |
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【目薬 アドラ チラシ: 2社存在していたようです。】 |
- 緊張してハイになったとき“アドレナリンが高まった・・・。”などと言いますが、このアドレナリン結晶化とタカジアスターゼの発見で現在においてもなお人類が恩恵を受けている日本人の大学者に高峰譲吉博士がおります。
- 高峰譲吉〔安政1年(1854年)~大正11年(1922年)〕は加賀藩の藩医の子供として生まれ、20歳で東大工学部の前身にあたる工学寮に入学した応用化学を学んだ化学者です。
- 卒業後英国に留学、1884年には米国万博に政府の役人として派遣され、帰国後に米国産のリン鉱石を原料とした今でいうベンチャー企業ともいえる肥料会社を実業家の渋沢栄一らと設立。
その後米国万博で知り合った米国人の女性キャロラインと明治20年(1887年)に結婚米国に移住、アルコール製造などの研究をすすめる一方1894年(明治27年)には消化酵素『タカジアスターゼ』の発見、製造に成功しました。
【タカジアスターゼ錠】
【タカジアスターゼ琺瑯看板】
【タカジアスターゼ木製看板】
- 一方副腎のエキスに含まれるアドレナリンは1890年代には血圧上昇、強心作用、止血作用が発見され、治療薬としての大きな期待がかけられていましたが、副腎のエキスのままでは不純物多く生理活性が低く腐敗しやすく医薬品としては未完成の物質でした。 そして高峰譲吉博士の最大の業績として1900年(明治33年)にはこの純度の高い『アドレナリン』の結晶化に成功しました。
- 高峰譲吉博士の『タカジアスターゼ』の発見製造と『アドレナリン』の結晶化の成功は、本来ですとノーベル賞に値するほどのものでしたが、高峰譲吉は後進国であった日本から来た無名の一研究者であったことや、公的機関においての研究ではなかったこと、高峰譲吉の『アドレナリン』よりも少し早く『エピネフリン』と名付けた米国の薬理学者のジョン・エーベルの方法をまねたと疑われたなどの理由で当時は正当な評価が得られませんでした。
(なお現在でも米国では『エピネフリン』、日本や英国、ドイツでは『アドレナリン』が通称として使われています。メルクマニュアルでは索引にはアドレナリンは無く、エピネフリンのみ記載されてます。)
【高峰譲吉 写真A】
【高峰譲吉 写真B】
- 高峰譲吉博士はその発見『タカジアスターゼ』の独占販売権を明治32年(1899年)に創立の三共(商店)に与えましたが、三共は世界中の『アドレナリン』の販売権を所有しているパーク・デービス社からその販売権も取得、その後の同社の発展の基礎となりましたが、この目薬の『アドラ』は『アドレナリン』を主薬とする点眼薬で記念碑的なコレクションで、目薬の発展史から見ますと、スポイトで滴下する容器タイプに分類される目薬です。
〔『アドラ』を点眼しますと瞳孔は拡張し瞳が大きく名眸(めいぼう:“澄み切って美しいひとみ。はっきりした目もと。)美人となったようです。〕 - コレクションにはこの『アドラ』のようなスポイトで滴下する容器タイプに分類される目薬として他に『コカイン水』(:この目薬に表面麻酔作用のあるコカインが含まれていたかは定かではありませんが。)『ゴールド』『キンカ目薬』『ツケキラズ目薬』(:つけ切らないで治ってしまう・・・との意味らしい。) などの目薬があります。
【コカイン水】
【ゴールド】
【キンカ目薬】
【ツケキラズ目薬】
【アーガス】
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